「ニセのバス停:老人ホーム前」が嘘と偽物だけど優しさに満ちていると話題に

プラセボ製薬では認知症等で過剰服薬が問題となる方の介護者さん向けに、介護用偽薬「プラセプラス」を販売しています。要するに、くすりのニセモノを販売しているわけです。

人の為と書いて、偽。

ヒトのタメに、ニセモノだからできることだってあるんです。特に、高齢者介護の世界では。

ネットで話題のニセモノ

2016年2月ごろ、とある老人ホームのこんな事例がネット上で話題に。

ドイツの老人ホームでは、贋のバス停が設置されている所があるそうです。

帰宅願望のある入居者さんなどが家に帰りたいと言った時、以下のようなコトバによる説得を試みても不穏になってしまう。

  • 「帰るところはありません!」
  • 「今日はまだ帰れないのよ!」

コトバでは帰宅願望にうまく対処できない場合には、帰りたいという欲求に沿う形で行動を促してみる。

じゃあ、外のバス停で少し待ちましょうか

少しすると認知症のよくある症状として直前の記憶が薄れてくるため、なぜバス停の前に立っているのかを忘れた頃合いで声掛けして施設内に入ってもらう。

  • 「まだ時間がかかりそうなので座って待ちましょう」
  • 「寒くないですか?中で温かいお茶をお出しします」

こんな優しいウソとニセモノで場を納めるプロの介護職員たち。

もちろん誰にでもできるような簡単なことではありません。当ツイートは以下のツイートへのリプライとしてでてきたものだそうです。

施設で介護をされてる方が書いた、徘徊のある認知症患者との会話がすごかった。現状を認識できない患者がパニックにならないように、ここまで自然に嘘を織り混ぜつつ機転を利かせてなだめるのかと…。https://t.co/Mhu6jsuWZxpic.twitter.com/Nuiw0kTs9f

— ブタ (@butaille) 2016, 2月 10

施設で介護されているからしたら「当然」に見える自然な対応も、未経験の素人からすると賞賛に値するというか(今の)自分にできそうにない高度なテクニックに見える…なんて会話が参照元のサイトではなされています。

嘘で騙すことのためらいと有用性

さて一般的に人間は嘘をつくと信用を失い、騙された人からの積極的、あるいは消極的な報復を覚悟しなければなりません。

性善説が唱えるような人間は生まれながらに道徳的であるという考えよりはむしろ、社会的動物である我々にとっては嘘のリスクとベネフィットを勘案して嘘をつかない選択をしているに過ぎないようにも思われます。

現代日本とできるだけ遠い例として、『三国志』では権謀術数というか「騙しだまされ、振りふられ」みたいな計略と嘘と裏切りが積極的に選択されるエゲツナイ世界が描かれます。これはもちろん、ウソつきに利益があり生き残るのに有効だからでしょう。

逆に現代日本では多くの人がウソをつかないことを選択し、ウソをつく人を排斥することを良しとしています。

「理想的」介護の欺瞞

介護に関わることのあまりない理想論者においては、介護の現場で用いられる嘘や偽物についても強い忌避感を抱いています。

「どんな場合にも嘘をついて人を騙してはいけない。本当のことを話して納得してもらえるよう、介護職員は入居者とよりよい信頼関係の構築を図るべきだ!」などなど。

しかし、これが「理想論」であること。自らの倫理観や道徳的理想を押し付けるために現実を捻じ曲げようとする欺瞞的態度であることは、介護経験者ならよく分かるはず。

偽薬を使ってほしい人?

こんな調査結果もあります。介護経験のある人は将来の自分自身への偽薬の利用を肯定し、経験のない人は否定する傾向がある(下図)。

精神世界は十人十色

私たちの社会では、自分がみたものと他人がみたものとを「だいたい同じ」だと考えることで成り立っています。要するに、他人の思考は自分の思考の相似形として予想可能であると。

実はこのことは進化心理学的に説明される心の理論や人間だけが持ち得た脳の高次機能として、非常に重要な考え方となっています。そうした分野では自他が相互にこの予想(シミュレーション)を行うことで複雑な社会ネットワークが構築されて現在に至ると考えられています。

ところが、認知症の方には通用しないところがあるようです。脳の委縮や脳細胞の死滅といった器質的ものが根本的な原因か否かは判然としませんが、自分の予想の真実性に固執して相互理解を拒んでしまう。と言うか、そうした能力が衰える。

そうなると世界の様相が一変して独自の精神世界が出来上がり、「真実」が客観的事実とは大きく異なってしまうようです。

この時、客観的事実に基づく「本当」よりも、独自の精神世界における真実に寄り添った「嘘」が本人にとっては有用な安心材料となる場合が多々あります。嘘や偽物は一概に否定すべきものではなく、価値あるものとして積極的に利用してもよいのではないでしょうか。

嘘で溢れるこの世界で

実は、私たちが活きるこの社会には既にモノとして具現化されたニセモノが至る所に置かれています。

  • 飲食店に置かれる食品サンプル
  • 衣料品店に置かれるマネキン
  • 格安のブランド類似バッグ
  • イミテーション・ダイヤモンド
  • コスプレ衣装
  • 疑似餌(ルアー)

さらに言えば、目に見えず手に取って形を確かめることのできないコトがウソとして蔓延っています。

  • 「オレだよ、オレオレ。実は事故っちゃってさ…」
  • 「マイナンバーの通知に不備がありましたので、既に届いたナンバーを…」
  • 「お前だけを愛してる」
  • 「絶対もうかる」
  • 「確実にやせる」

本質的価値

嘘や騙しは人間の動物的本質と深いつながりがあるため絶対になくなることはありませんが(…というのもウソだったりして)、逆に言えば、嘘や騙しが人間にとっての本質的な価値を持つとも言えるのではないでしょうか。

少し考えてみれば「何かを信じるチカラ」というのは年老いても、認知症になったとしても失われないような根源的な脳の機能なのでしょう。「信じないチカラ」というか「疑うチカラ」の衰えから、悪用されがちであることに問題はありますが。

自分の世界に寄り添うような介護者さんの嘘なら、たとえ認知症を発症していても信じることができる。

老人ホームの前におかれたバス停の事例は、脳機能としての「信じるチカラ」の残存を示しているように思われます。

偽薬にだって、そうした「信じるチカラ」を活用した本質的価値があって、介護者さんの負担をできる限り抑えるべく有効利用をすすめたい。そんな風に考えています。

薬の飲みたがりや飲み過ぎでお困りの介護者さまがお近くにおられましたら、ぜひ「プラセプラス」をご紹介ください。

マイ・擬似バス停が欲しい!

介護関係の事業者さんなど、実際にニセのバス停がうちにも欲しい!という方もおられるかもしれませんね。

インターネットで検索してみますと、いくつか出てきます。

山口県のバス標識塔屋さん

山口県にある三栄産業有限会社

本格的なアルミ製のバス停を制作しておられるようです。

価格等は要見積り。

静岡県のアイアンアート屋さん

静岡県にある風工房(ふうこうぼう)

鉄材加工品を販売されているようです。

ハンドメイド品のマーケットプレイス(販売所)、「Creema(クリーマ)」にも出品されているようで、価格は 28,000円 となっています。

バス停看板|ハンドメイド通販・販売のCreema

オリジナルのカスタマイズも請け負っておられるようですので、気になる方は下記サイトをチェックしてみてください。

バス停看板|【風工房】浜松市のアイアンアート製作

その他の業者さん

もちろん、他の看板屋さんでも依頼すればバス停看板制作に応じてもらえる可能性はあります。

お近くで探したい場合には、GoogleやYahoo!などの検索サイトをご活用ください。

看板制作を依頼できる専用のWebサービスなんてのもありますね。

あるいは中古品をお安く手に入れたいとか、廃線となったバス会社の廃棄品を譲り受けたい…などは実際に問い合わせてみないことにはわかりませんが、ないとも限らないような気はします。

あまり流通量は多くないと思われる為、上記のような新規作成を請負ってくれる方を探すよりは難しいのかもしれませんが…。