『新薬の罠』を読むと、製薬企業の目的が「人体実験」だと分かる

製薬企業をどちらかと言えば悪意ある者として追求する本を読むと、製薬企業が求めているのは「人々の健康」よりむしろ、「大々的に行える人体実験の場」であるように思えてなりません。

「大々的に行える人体実験の場」とはどこか?

医師と患者が出会う場所、すなわち病院やクリニックの診察室などなどがそれに当たるでしょうか。真に科学的でありたいと願う製薬企業は対象人数が限られる小規模な「治験」では飽き足りず、全国レベルの実験場を常に求めているのではないか、と。

利潤追求が目的ではない?

多くの株式会社と同様に、製薬企業もまた利益・利潤を追求しなければならない立場にあります。

本物として流通させられる精巧な偽札などの「カネ」を作ることができればその目的は叶いますが、ばれた際のリスクを考えれば一旦「クスリ」というモノを製造し、それを「医師」から「患者」へ処方してもらうことで遠まわしに「カネ」を回収して目的を達する方がベネフィットが大きくなります。

ただし、大きな利益と、そこから生まれる巨大な資本が目的ではなく何らかの手段になるのでなければ、どこへも向かうことができません。より簡単にお金を儲けるためにお金を稼ぐことを目的に据える事業には、ほとんど価値がないためです。

だからこそ、「世界中の人々の健康に資する」という価値を提供するために医薬品を製造し、また新たに創り出すという素晴らしい事業をされているのでしょう。

でも、うまくいっていないようなのです。今はまだ。

人体実験が足りてない

医薬品開発に関して最もお金がかかるのは、ヒトを対象とする臨床試験だと言われています。臨床試験に供すべきヒト・モノのコストは膨大であり、カネがなくちゃやってられないのです。どうしてもその規模は限定的にならざるを得ません。

しかし、真に科学的でありたいと願う製薬企業はカネの限界などで科学性を諦めるのを良しとせず、あるアクロバティックな方法でこの問題を解消しました。

せや、カネは「患者」が出せばいいんや!

新薬の臨床試験は「少数を対象とし注意深い観察下で安全を最大限考慮した人体実験」に他ならず、そこから得られる知見は限定的にならざるを得ませんが、「多数を対象とし適度な観察下での人体実験」をすることで科学性を担保することができる(しかもカネを掛けずに)と考えたわけです。

「薬害」と呼ばれる社会的事象は、この「多数を対象とする人体実験」で得られた非常に価値のある科学的知見なわけです。もっと言えば、「少数を対象とする臨床試験」では見いだせなかったほど貴重な科学的知見。

「薬害」を肯定する訳ではありませんが、過去に起こった「ソリブジン事件」や「サリドマイド事件」は、薬物が引き起こす人体への影響という観点からすると、薬学の教科書に必ず記載されるほど貴重な科学的知見を見出した事例に当たります。

製薬企業があからさまに言わずとも人体実験を求めていることは、こうした科学的知見を蓄積して人類の健康に貢献したいという高潔な目的から推察邪推することができます。

新薬の罠

さて、『新薬の罠 子宮頸がん、認知症…10兆円の闇』(著:鳥集徹、文藝春秋)を読みまして。

製薬企業は新薬を世にだし、大々的に人体実験を行うためにお金を使っています。

大学教授などの専門家にお金を出して治験を通過させたり「もっと薬を使うべきだ」と謳うガイドラインを策定させたり、政治家と政治屋にお金を出して法的な根拠を持たせて普及に弾みを付けたり、患者会にお金を出して陰ながら支援することで医薬品の需要を喚起したり、マスコミに広告とお金を出して宣伝活動に勤しんだり。

こうした活動で、大々的に人体実験を行う素地を作り上げるわけです。ただ、この時点で科学性に拘泥すると前に進めなくなるため、科学性を歪めることにさえお金を注ぎます。

それはより多くの人を対象とした人体実験を行い、真の科学性を手に入れるため。どうです、なかなかに狂って思い切っているでしょう?

でも、それもこれも「人々の健康に資する」という高尚な目的のためなのです。製薬稼業とは、そういうものなのかもしれません。

近年の研究不正も

本書で示される「ディオバン事件」も、「CASE-J試験(武田薬品工業が京大の試験に積極関与)の問題」も、臨床試験というちっぽけな枠組みなんかに収まりたくない製薬企業の崇高な野望をひしひしと感じます。

科学に殉ずるのが本望だ、と言わんばかりに。真の科学的達成の為にはちょこざいな科学性など切り捨てて構わんのだ、と言わんばかりに。

まぁ、実際にやっていることは「データをいぢくる」や「統計解析で後出しジャンケン」など非常にアレですけれども。

利益相反の問題

本書の白眉は、製薬業界と医師の密接な関係が生み出す利益相反の指摘にあるように思われます。

ある製薬企業や医療機器メーカーに研究を手伝ってもらったりお金を出してもらったりしたら、その会社が出す医薬品や医療機器を悪く言うことなんてできないんじゃない?、というのが利益相反(利害関係の衝突)の問題。

もっと卑近な例を挙げれば、学会などで振舞われた「ちょっと豪華なお弁当」のおかげ(せい)で医師の医薬品選択に影響が出るんじゃない?、という問題があります。

いやいや、弁当であったり、よくもらうペンやクリアファイルやカレンダーなんかでクスリの処方は変えませんよ

利益相反の一番大きな問題点は、提供されたものの見返りとして与えた利益を本人は過小評価しがちであるということです。本人は平等に公正に事を進めたつもりでも、客観的に見ればそこはかとなく影響が出ちゃってるのが利益相反の問題点。

ただ、こうした(暗黙に見返りを求める)利益供与がなくなると様々な研究・その他が円滑に進められなくなるのも事実なわけなので、できることと言えば受け取った金銭の出所と額を明らかにするしかありません。

アメリカではサンシャイン法に基づいて情報公開が進んでいるそうな。日本でもそうした動きはあれど、鈍いものだと。本書には記載されています。

製薬協は5月26日の会見で、今年夏公開予定の2014年分からウェブサイトでの公開に統一するが、印刷・保存ができない点についてはこれまで通り各社に対応を任せる方針を明らかにした。何か後ろめたいものがあるのだろうか。

2015年5月27日の記事(『製薬企業から医師への資金提供公開、原稿料・講演料は除外|MEDICAL CONFIDENTIAL』)で、そんな風に書かれています。

2016年1月には、大手製薬企業のグラクソ・スミスクライン(GSK)が医薬品販促のための医師への金銭提供廃止を決定しました。もちろん、利益相反に対処するためです。

医療の世界で繰り広げられる人間ドラマに興味のある方は、ぜひ。