プラセボ(偽薬)は「概念に形を与える」という方法で世界を変えていきます。
はい。ほのかに甘い、かもしれません。
バカにつける薬は無かった、のか?
「馬鹿に付ける薬は無い」という言葉は、『広辞苑』にも単一項目として取り上げられるほど人口に膾炙しています。
ことばの意味
「馬鹿に付ける薬は無い」は以下のように解説されます。
考えが足りなく、愚かな人は、どうやっても、救いようがない、ということ。
ことわざ学習室「馬鹿に付ける薬はない」
「どうやっても、救いようがない」という否定的な、ある意味では絶望的なニュアンスを伴ったキツイ諺です。
無いものを有らしめる
ただ、そうした諺的「無さ」を逆転の発想で現実に在らしめるという試み・企みは古くから実践されていました。
試しにAmazon.co.jpで「バカにつける薬」と検索すると、十数冊の本がヒットしますね。
著者
この本を読めばバカは治るよ
考えが足りなく、愚かな人がわざわざ「バカにつける薬」と称する本を読むか否かは分かりませんし、本という媒体でバカ治療を施すという発想が、何となく説教じみたものに感じてしまうのですが…。
「薬」にこだわる
それならいっそ「薬」として有らしめてみれば良いのでは?と考えてみると、あにはからんや、簡単に達成できてしまいそう。
そう、プラセボ(偽薬錠)を使えば「バカにつける薬」を即座に開発することができます。
有名な笑えるコピペに「バカにつける薬買ってきたwwwwwwwww」というのがありますので参考としつつ。
つける薬ではなく、飲む薬としての実現試みるわけです。
効くや、効かざるや、試してみてのお楽しみ…。
プラセボが突きつけるもの
少し脱線してプラセボ、すなわち偽薬について考えてみましょう。
バカと同じくらいにネガティブな語感を伴う偽薬について考えてみることが、「馬鹿に付ける薬はない」を超越できる手がかりになることを願って。
偽薬という言葉
我々は言葉を自在に駆使したり、何とかやりくりして概念をこねくり回し、適切に処理することで日々の生活を営んでいます。
しかし、「言語を自在に駆使して」という自覚的な感覚とは裏腹に、非常に強く言葉に縛られていることにお気づきでしょうか?
偽薬も多くの人を縛り付ける言葉の一つです。
偽薬はプラセボの日本語訳ですが、「ニセの薬」という概念的で否定的な意味をも含みます。
しかしながらその実体は、「でんぷんを固めたもの」であったり「砂糖玉」であったりと、特別な意味さえ与えなければ「まぁ、お菓子?」な代物です。
プラセボ効果と偽薬
そんな偽薬も、ひとたび「○○に効くんですよ~」と渡されて飲んでしまうと、ときに身体的、精神的変化を起こしうるという本当の力を持ちます。恐ろしい面白いことに。
この現象は「プラセボ効果」と呼ばれています。
一方、たとえ漢字一字でも「偽」のような否定的な言葉には否定的な感情が紐づけられてしまっています。
それは、本質とは関係のない表層的な部分だけで判断されることがある、ということです。
もちろんそのことを上手に利用することもできれば、そのせいで上手くいかない場合もあるでしょう。
このことは広い意味で「ノセボ効果」と呼べるかもしれません。
しかし些か、プラセボに関しては世間的な評価が低すぎるように思われます。力がありすぎるから、でしょうか?
積極的にバカになろう
閑話休題。「バカにつける薬」候補としてのプラセボに話を戻しましょう。
プラセボ製薬が販売する「プラセプラス」には、残念ながらバカを治す成分は含まれておりません。
ただし、飲むとバカになれる可能性を否定するものではありません。慎重にご判断の上、ご利用ください。
かのスティーブ・ジョブズも言っています。
Stay hungry, Stay foolish.
Stay hungry, Stay foolish.
バカであり続けることが困難なこの世の中で、バカを治すなんて考えがそもそもバカげてる。