『数学する身体』を読んで科学的に「プラセボ効果」を説明する試み

森田真生さんの『数学する身体』(新潮社)。

第15回小林秀雄賞の受賞作品である『数学する身体』は、数学に限らず様々な分野への示唆に満ちています。

もちろん(?)、プラセボ効果もその範疇に入っていると思われましたのでご紹介。

数多くのネタバレを含みますので、未読の方はよくよくご注意ください。

ノイズは無駄じゃない?

『数学する身体』32ページ、「脳から漏れ出す」と題された一節にて興味深い事例が紹介されていました。

人工進化、遺伝的アルゴリズム

生物学的なプロセスである「進化」をコンピュータ上でシミュレートする「人工進化」という研究分野があります。

「遺伝的アルゴリズム」というキーワードで検索をかけてみれば、様々な情報が得られるかと。Youtube動画などもアップされており、進化の過程を視覚的に捉えることもできます。

『数学する身体』では、この人工進化に関して「異なる音程の二つのブザーを聞き分けるチップ」を創ることを試みたイギリスの研究者エイドリアン・トンプソン博士の事例が紹介されています。

Wikipediaにも「進化型ハードウェア」の項目に記載されていますね。

この研究が興味深いのは、その結果。

実際に人工進化の手法で「異なる音程の二つのブザーを聞き分けるチップ」が開発できたのですが、なんと人間が論理的に設計した場合に最少かつ最善手と考えられるチップ上の論理ブロックの並びより少ない論理ブロックしか使われていなかったのです。

また、完成したチップ中にはいくつかの孤立した論理ブロックが存在し、主要な働きをすると目される回路とは繋がれていませんでした。ところが、孤立ブロックのどれを取り除いても、回路は働かなくなってしまったと。

詳細に調べたところ、ノイズを上手く活用していたそうな。

『数学する身体』ではウディ・アレンの映画『Whatever Works(邦題:人生万歳!)』を引き合いにだし、このシステムがノイズをリソースとしていること、いやむしろ目的達成のためには「Whatever Works(うまくいくなら何でも)」精神でノイズとリソースに区別を付けないというそのあり方を考察します。

もちろん、その対象は人間の脳まで及び…(続きは書籍で)。

意識の科学的説明

「意識」なるものが物理的な実体である人間の脳みそに宿るとき、そこには一体全体どんなトリック・神秘的な力が働いてるのだろう?それは科学の言葉で十全に説明し得るものだろうか?

こうした問いに応える試みが物理学者を中心に盛んになされています。

ただしそれは論理的な超越の無い考察に留まる場合が多く、ノイズと考えられるようなものをリソースとして取り込む理論は寡聞にして知りません。

意識の解明は、すなわちプラセボ効果の解明である…というと言い過ぎかもしれませんが、「意識」が科学によって説明される時、また「信頼」や「信仰」が科学により理解されるならば、「プラセボ効果」には今よりずっと説得力のある説明を与えることができるでしょう。

オラクル(神託)という概念

さて話は飛びまして、第二章第Ⅲ節で語られる人工知能の父、アラン・チューリング。

中でも『数学する身体』92ページ~の「オラクル(神託)」について。

説明不可能性

プラセボ製薬株式会社では、プラセボ効果の説明として「説明不可能性」という言葉を用いています。

説明不可能な治癒現象の原因として「プラセボ効果」という概念が創造され、いまでは説明不可能性そのものを指す言葉となった、と。

アラン・チューリングもまた「機械」と人間の「心」の間にある埋めがたい溝を埋めるべく、「オラクル(神託)」という概念を創造したようです。

「意識」もそうであるように、直感やひらめき、魂といった人間が有する心の特性を機械に実装しようと思えば、この説明不可能性の権化である「オラクル」にただ問い合わせればよい。だが「オラクル」そのものの動作原理はブラックボックスである。

説明不可能をとりこんで一応の説明付けを施す「説明原理」の発明はコンピュータ科学のみならず、あらゆる分野で行われています。

プラセボ効果もまた、そうした説明原理の一つであるとプラセボ製薬株式会社では考えています。

環世界的世界観

『数学する身体』は、日本が世界に誇る数学者・岡潔に捧げられています。

数学を語る上で「情緒」の重要性を説いた岡潔。

その原体験に触れる一節。

魔術化された世界

『数学する身体』122ページ~で紹介されるのは、ドイツの生物学者フォン・ユクスキュルが提唱した「環世界」的世界観です。「意味」の主観性、「意味」の個別性がユクスキュルの著書『生物から見た世界』に沿ってマダニの生活を通して語られます。

もちろんマダニを例に出したからと言って「環世界」の概念が人間と人間以外だけを峻別するというのではありません。

人間同士でも共有し得ない個別的な「環世界」、ここではより象徴的に魔術的の形容をもって紹介されますが、ある少女だけが目撃する魔女の存在をユクスキュルは肯定し積極的に捉えようとします。「魔術的環世界」として。

「環世界」と岡潔の思想にどんな関係があるのか、ひいては数学そのものとどのように関わるのか。気になる方は是非『数学する身体』をお読みください。

子どもの不安とプラセボ効果

実はこの一節を読んで思い出したのは、不安の強い子供に気休めのプレゼントを、という偽薬の使い方を紹介する記事の内容でした。

不安を訴える子供が、なにやら意味不明なこと(「魔女がいる!」など)を言っている。

そうした場合に親などの身近な大人は、自分自身の目に映る世界を当然子供も共有しているはずだと考え、子どもの物言いを理解不能なものとして退けてしまう…ことがあるやもしれません。

でも恐らくは子供に対して親ができることのうち最も重要なことは、その子を信頼してやることだろうと思われます。『数学する身体』の記載を持ち出すなら、「魔術的環世界」の存在を肯定しようという訳です。

でも不安を訴える子供に何かをしてやらねばと思う時、しかしながら具体的に何をどうすればいいか分からない時、プラセボ(偽薬)を用いれば「なにもしない」をしてやれるのではないか?

記事にはそんなことを書いています。

環世界とプラセボ効果

いやそもそもプラセボ効果なる現象を理解する上で主観的な風景ほど、つまりは「環世界」ほど重要なものはないでしょう。

偽薬だと知っている被験者でもプラセボ効果が現れたという研究事例があります。

研究者らはこの結果を、自身の身体に対してよい働きかけをしてくれることが期待される医療の場で、医師や看護師の親身な対応を受けるという儀式的行為そのものが被験者の身体に影響を与えたのだろうと解釈しています。

「環世界」という言葉自体を研究者らが用いているわけではありませんが、これはまさしく被験者らの「環世界」がもたらした結果と考える、というか説明できるのではないでしょうか。

読書のススメ

ここではサイドストーリーとして紹介された面白い事例を採り上げて、幾分こじ付け気味にプラセボ効果との関連を探ってきましたが、その他その他、『数学する身体』には数学好きを唸らせ、数学嫌いの目を引く記載がたんまりと残されています。

数式はありませんので、安心して(?)ご一読ください。