時に、ある事柄と全く別の事柄にふと類似点を見出し、驚かされることがあります。
LISP、タオ、プラセボ
『ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち』(ポール・グレアム著、オーム社)では、プログラミング言語「Lisp」が登場します。
「Lisp」が何だか凄そう、というぼんやりとした感想と期待を胸に『初めての人のためのLISP[増補改訂版]』(竹内郁夫著、翔泳社)を図書館で借りてきて読み始めたところ、面白い記載が見つかりました。
無為自然
xviii 前書き(兼あと書き)
老子は「無為自然」を説いた。なぜか英語だが、いわく、「無為」は
The Tao has no purpose,
And for this reason fulfills
All its purposes admirably.と表現される。(後略)
『初めての人のためのLISP[増補改訂版]』
Tao(道)をLisp(S式)に当てはめるとドンピシャリ、というお話なのですが、Taoをplacebo(プラセボ)に読み替えても、これは通じるんじゃなかろうか。
The placebo has no purpose,
And for this reason fulfills
All its purposes admirably.
さらに「自然」は、Raymond Smullyanの
The sage falls asleep not because he ought to
『初めての人のためのLISP[増補改訂版]』
Nor even because he wants to
But because he is sleepy.
だそうで、この場合はthe sage(賢人、哲人)をthe bodyに読み替えるとプラセボ効果のことを言っているような気がします。
これに基づき道教へ傾倒する、ということはありませんが、プラセボに従い歩いていくと「無為自然」に行き当たるという可能性には中々興味深いものがあります。