プラセボに対する理解を深めるには、時に医学・薬学に近い分野を離れ、アナロジー(類推)を用いて回り道して考えることも必要です。
トランプとプラセボ
トランプのゲーム性を高めている要素には、どのようなものがあるでしょうか。
- 裏表のある半匿名性
- カテゴリーの豊かさ
- 計算可能な範囲での確率的制限
- 手の中で完全に扱えるハンドリング性
- カードデザイン
ジョーカーという特別
色々と挙げることができますが、ジョーカーの存在を忘れるわけにはいきません。
ジョーカーというカードの特殊性の源は、価値の不定性にあります。不定性とは、決まるまで決まらない性質のことを意味します。
「ババ抜き」では忌避される一方、「大富豪」などでは最も尊重されるカードであること。
また、ゲーム内でもワイルドカードとして時と場合に応じてその価値を変化させること。
これらの性質は、ジョーカーのみに与えられた特権です。
そして「プラセボは医学・薬学の世界におけるジョーカーである」という認識は、あながち間違いではないと思います。
数学とプラセボ
数学発展の歴史には、地域性があったことが証明されています。
ある時代・場所で用いられていた数学と、別の時代・場所で使われていた数学は、その必要性や教義的問題などから、外形上だけでなく概念的にも異なるものでした。
中でも、「0(ゼロ)」の概念の確立は数学史上の大きなトピックとして語られています。
ゼロという特別
「何も無いものは何も無いのだから、何も無い(表現しない)のが自然だろう」
メソポタミアでもエジプトでも、人々はそのような思考に長い間縛られていたのです。
ところが、ある日のインドで革命的な事件が起こりました。
「そない言うても、何も無いもんも数学的表現として持っとった方が便利やで」
こうしてゼロは数字の一員として正式に仲間入りすることが決まりました。この後ゼロが辿った数奇な運命に関する記述は、中の人の能力を越えますので各自お調べください。
さて、この話の結論は何でしょうか?もうお分かりですね。
「プラセボは、医学・薬学界のゼロである。」
きっかけ(のひとつ)
『ニートの歩き方』(pha著、技術評論社)で引用されていた言葉の(不完全な)再々引用となりますが、ご容赦を。
人間は世代に規定される
ダグラス・アダムス(作家)の言葉
「Everything That Doesn’t Work Yet(まだ動いていないもの).」執筆:ケヴィン・ケリー、翻訳:堺屋七左衛門
- 自分が生まれる前から既に世の中にあるものは、全てごく普通のものである。
- 生まれてから30歳になるまでの間に発明されたものは、全て途方もなく刺激的で創造的であり、運が良ければそれが一生の仕事になる。
- 30歳以降に発明されたものは、全て物事の道理に反していて文明の終末の予兆である。ただしその後、それが身の回りにあって10年ほど経つうちに、徐々に問題ないものであるとわかるのだが。
プラセボ製薬という特別
「プラセボ製薬」としてプラセボを販売する事業を始めたのは、プラセボの神秘性は広く認識されているけれども、その利便性を誰もが見過ごしているのではないかと思ったからです。
数学史上、ゼロが長い間無視もしくは忌避され続けてきたように。
少々過激に言えば「ジョーカーによる世界転覆」を、より穏当に言えば「ゼロ概念の確立」を成し遂げたい。
10年なんて、待っていられない。「途方もなく刺激的で創造的」なものが目の前にあるのだから。