健康病の時代にプラセボで新たな健康観を

健康を求めるがゆえに、いつでもその未充足を思って不安になる。現代は健康病の時代だと言われます。

健康基準値の遵守や薬・健康成分の補給によって不安が払拭されることはありません。

自身の健康に責任を持つことでしか、健康に自信を持つことはできないからです。

プラセボ製薬では、カラダがもつ本来のチカラ(≒自然治癒力)に基づく健康観の普及を目指しています。

「健康は、わたしのカラダが知っている。」

そんな信頼感や自信を、あなたに。

健康病への警鐘

健康病への警鐘を鳴らす言葉があります。

『健康病』

「健康病(けんこうびょう)」の語は上杉正幸著『健康病―健康社会はわれわれを不幸にする 』(新書y)から拝借したものです。

日本における健康観の移り変わり、健康が如何にして国に管理されるようになったか、人々が自分自身の健康に対する責任をいかに軽視するようになったかが克明に記されている良書です。

絶版になったためでしょうか、新刊で手に入れることは難しいようですが中古市場では出回っているようです。中古書店、あるいは図書館等で見かけた際には是非手に取って読んでみてください。

不可避の死から逃れ続けようとする不毛を越えて、自身の「生」から健康観を立ち上げる。そんな健康の在り方が示されています。

『イマドキ―現代用語50』

南伸坊氏の『イマドキ―現代用語50』より、武井克明氏の言葉。

「健康」のありがたさをかみしめる瞬間がある。赤ちゃんが元気で生まれたとき、思わず何かに感謝したいような謙虚な気持ちになるのも、素朴な心の動きだろう。また、「あるべき健康」像に追い立てられたり、「健常という普通」観で視野を狭められたりする「不健全」さを目にすることも。健康なんて、と斜に構えるのはクサい。だが、健康が「黄門様の印ろう」みたいになるのも、いささか薄っぺらでは?

『イマドキ―現代用語50』(p94)

また広辞苑や大辞林が「健康」を、「悪いところの“ない”こと」として否定形によって定義していること、世界保健機関(WTO)憲章前文では、「完全な肉体的、精神的および社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない」と二重否定表現を用いていることを挙げています。

「健康病」の病理も、こうした定義に依っています。「悪いところのないこと」を科学的に証明することは決してできないからです。

新たな健康観

新たな健康観の参考となる言葉もあります。

『整体入門』

天才と称されることもある「社団法人整体協会」創設者、野口晴哉(のぐち・はるちか)氏の著書には「健康は、わたしのカラダが知っている。」と考えるための参考となる言葉が数多くちりばめられています。

『風邪の効用』(ちくま文庫)などの著作を通じてその思想に触れ、目を見開かされた方も多いのではないでしょうか?現代医学が敢えて脇におきたがるこうした思想には、人間を実直に見つめる野口氏の深い洞察が感じられます。

以下は『整体入門』 (ちくま文庫)より引用。

しかし、悪いものを食べて吐くのは、悪い物が入ったのだから吐くのです。だから吐いた場合には胃袋は丈夫だったのです。それが腸に行って下痢したら、それは腸が丈夫だったのです。吐いたり下したりしたから胃や腸が壊れたと思うのは。その体の持ち主の頭がどうかしているので、体からいえば自分の体に対して、下痢したら「腸よ、よくやった、もっと残さず掃除しておけ」、吐いたら「胃袋よ、よくやった」と褒めなくてはいけない。

先日来た人も肝臓が腫れてしまって「ゆうべ飲みすぎたら肝臓が腫れちゃった、何とかしてくれ」という。飲みすぎて肝臓が腫れなかったらどうなるだろうか。飲みすぎて肝臓の腫れるのは当たり前じゃないか。飲みすぎて余分な毒素を入れたから、それに対応して肝臓が働いて消毒薬の働きをしているのです。それが肝臓が腫れる理由です。飲んで肝臓が腫れたって異常ではない。飲んで腫れないような肝臓だったら、それは肝臓が怠けているのです。

『整体入門』 (p44)

また、「あとがきに代えて」では以下のように述べられています。

『整体入門』を出版しましたら、読んだ人が抵抗と感じましたのは、自分で自分の体を正すとか、自分の体は自分で管理せよということに対することでした。多くの人は長い間、病気は他人に治してもらうもの、自分の体の管理は専門家に任せるものという考えに慣らされてきたからでしょう。

(中略)

自分の感じの中を確かめ、体の調子を知ることが管理の最初の問題なのだから、他人より自分が主役であるべきです。

『整体入門』(p218)

現代では対症療法薬がドラッグストア等に溢れ、何かおかしなことがあればクスリという外的な力で何とかしようとします。また何だか悪いところがあるような気がする、という理由で取り敢えずの診察とクスリを求める高齢者で病院が溢れていることも。

いささか安直なそうした考えからは一線を画す、野口流健康観も是非ご参照ください。

プラセボから、新たな健康観を

プラセボ製薬では、プラセボあるいは偽薬をより積極的に活用したいと考えています。

どうしてでしょうか?

それは、外部の何かに頼るより、自分自身の内側から立ち上がってくるものを信じることにつながると考えているからです。

「偽薬が効いた」といっても、偽薬が積極的な作用を持つわけではありません。そこにあるのは、創発的な治癒現象としてのプラセボ効果です。

プラセボ効果は確かなもの、科学的に明らかになっているものではありませんが、それでも、あるいはそれだからこそ、私たちの生活を、ひいては人生をより良いものにする力があるのではないでしょうか。

プラセボ製薬では、健康について今一度じっくり考えてみるための食品、略して「健康食品」としてプラセボを販売しています。