プラセボの英語表記は「placebo」。ラテン語に由来する言葉で、「私は喜ばせよう」という意味がありました。
しかし、そもそもは宗教的な言葉。
カトリックにおける死者のための夕べの祈り、死者のための晩課を示す言葉だったそうです。
こんな意味も
宗教的な意味合いは、儀式におけるある役割へ拡大します。
泣き屋
それが、葬式における「泣き屋」とよばれる役割。
赤の他人のお葬式に参加し、哀悼の意を過剰なほどの(?)泣きっぷりで示す立派な職業です。
かつて日本でもそうした専業の「鳴き女(なきめ)」が存在し、現在でも東アジアの中国や朝鮮半島、台湾に「泣き女」が存在してます。
こうした一風変わった職業は以下の記事にて非常に詳しく紹介されています。
『遺族よりも声をあげて泣き叫ぶ?!「職業:泣き女」とは』(小さなお葬式のコラム)
「泣き女」動画
「泣き女」を紹介するこんな動画も。
中国の泣き屋さん(YouTube)
う、唄ってますがな…。節付けて歌っちゃってますね…。
感情労働
こうした種類の労働を「感情労働」と呼ぶこともあるそうです。
思ってもないことを、言葉や行動や表情で表す。本音を隠し、建前を貫く。
だれもが多少は行っている面はありますが、「泣き屋」は感情労働に対して直接的に対価が支払われる立派な職業なのでした。
「やらせ」は効果的?
泣き屋をお金で雇ってまでお葬式で泣いてもらうのは、涙の数が死者の徳の高さを示すバロメーターである(だった)からだとされています。
より多く、より激しく泣くことには供養の意味が込められていたそうな。
周りに与える影響
もちろん大泣きに泣いて取り乱しちゃう方もおられますが、実際の葬儀においては案外冷静で、でも泣いてる人を見たらついつい「もらい泣き」しちゃって…ということもあろうかと思います。
泣き屋がどれだけ演技で泣いていようと、表現されたその感情は周囲に影響を与えずにはおかないものです。
かつて(今でも?)劇場で音楽の演奏会や演劇の初演がなされる時、アルバイトとして「サクラ」が雇われ、率先して手を叩き大きな拍手をしたり、「ブラヴォー!」と大声をあげてみたり。
内容の如何に関わらず賞賛の声をあげる盛り上げ屋が商売として繁盛していました。
「やらせ」だろうが何だろうが、人為的に作り上げられたその感情や熱狂は演奏会や演劇の評価を高めずにはおかなかったからです。
純粋に個人的な評価は不可能?
社会的な動物である我々人間は、周囲の目を気にせず振舞うことができません。
誰も泣いていないのに泣くのは憚られたり、みんなが泣いてるから泣き出してしまったり。「集団の心理」がそこには働くようです。
「やらせ」によって引き起こされた感情も、嘘や偽りではなく自分自身の本当の感情となって世界の見方を変えてしまいます。
「泣き屋」はそうした人間のあり方を上手く利用した職業だったのではないかと思われます。
「泣き屋」が「プラセボ」と言われていたことも、このプラセボ効果を考えてみれば納得がいく…ようなそんな気が。
泣き屋の男性が出てくる映画
この記事を書くきっかけになったのは、ある映画を観たことでした。
泣きっ面でペロリと舌を出すことのできる泣き屋の男性が出てくる『ウエディング・クラッシャーズ』を。
ウェディング・クラッシャーズ
Googleが全面協力した爆笑のオジサン就活映画『インターンシップ』。
この映画で大活躍を見せるすっとぼけ中年オヤジコンビ(オーウェン・ウィルソン&ヴィンス・ヴォーン)が、今度は見知らぬ他人の結婚式に潜り込み、盛り上げ役を買って出つつオンナをゲットする有能で不真面目な弁護士を演じます。
ネタバレになっちゃいますが、ストーリーの中に「泣き屋」が出てきます。
こちらは金銭を報酬としない「泣き男」。未亡人との出会いを狙うその男の泣きっぷりは、周囲の同情を誘い誘われ、葬儀を盛り上げます。
その後どう展開するか…は実際に見て確認していただくとして、この情景をスクリーン上に見ながら、こんなことを思いました。
この葬儀に参加した皆さんは「良い葬儀だったな…」と感想を抱くのではないだろうか?この「泣き男(他人)」のおかげで。
これもまたプラセボ効果的な現象の思われますが、いかがでしょうか。