人は誰しも、まっさらな状態でこの世に生を受けます。が、本能と呼ばれる特質を備えているようにも思われます。
人を騙してはいけない
この倫理観がどのように獲得されるのか、実はよくわかりません。
- 生得的なもの
- 教育の結果
- 自身がされては困ることの裏返しとして実施
- 純粋に生存可能性を高める手段や利益最大化の施策
これらのいずれか、あるいは別の理由があるのかもしれません。
倫理観が変容するとき
最近の進化心理学的研究によれば、人を騙さないという選択が「生存・繁殖可能性を高めることにつながる」から現在のヒトに広く見られるのだとされています。
ただ、多くの日本人が人を騙すことに対して嫌悪感を抱き、社会人的建前を除いて、自身がウソつきになるのを拒むことは間違いないでしょう。
介護者増大時代
さて超高齢化が盛んに喧伝される日本の社会において、今後「介護」を経験する方が大幅に増えることは間違いありません。
特に認知症患者はその予備軍を含め、2025年までに700万人になるとも1,000万人になるとも言われます。
認知症の方の生活における特徴は、自身の主観的世界観や物語を創造して強く拘ることにあります。
身近な介護者が社会とのかかわりを通じて柔軟に構成する精神世界とは相容れることの無い認知症者の精神世界への対応を、介護者は適宜選択しなければなりません。
介護と嘘
- 介護者の認識を認知症の方にも要請する
- 認知症の方の認識に介護者側から寄り添う
もし後者を選択するなら、そこに「ウソ」や「ダマシ」が紛れ込むことになります。自身の倫理観に背く「嘘・騙し」を介護者は受け容れることができるのか?大いに疑問ではあります。
そこで、プラセボ製薬では介護者の意識に関するアンケートを実施しました(調査協力:ボイスノート)。
介護用偽薬の利用に関するアンケート
介護現場では、偽薬の利用に象徴される「ウソ・だまし」が積極的に活用される一面があります。
そこで、偽薬に対する意識を通じて倫理観を問うてみたいと考えました。
回答者の属性
アンケート調査は2015年10月1日~31日に実施しました。
全期間中に10,983人の回答を得ると同時に、回答者の属性として介護経験の有無を特定しています。結果は以下の通り。
- 介護の経験はない:9,071人(82.6%)
- 現在、身近な方を介護している:584人(5.3%)
- 過去に身近な方を介護していた:836人(7.6%)
- 現在、職業として介護をしている:307人(2.8%)
- 過去に職業として介護をしていた:185人(1.7%)
8割以上の方が「介護経験なし」でした。一部の回答は「経験なし」と「それ以外(経験あり)」を別枠で扱い集計しています。介護については「経験なし」の方が「あり」に変化する一方通行の人生経験であると考えるためです。
介護を経験する過程で心境の変化があれば両グループの回答にも目立った変化がみられると考えれる、はず。
偽薬と騙しを、自身のこととして
介護用偽薬の積極利用について
全回答者に訊きました。
認知症高齢者の「薬の飲みすぎ・飲みたがり」に適切に対応するため、介護用偽薬の利用が推奨されています。介護の現場で偽薬(プラセボ)が積極的に用いられている事を知っていましたか?
介護現場での偽薬の利用を知っている方の割合は介護経験の有無で大きく異なり、介護の経験がある方については4割以上がその活用を認知しているようです。
なお、偽薬として用いるものには、偽薬そのもののほかに、整腸剤などの偽薬転用、乳糖・うどん粉・ラムネ菓子など食品の偽薬的用法含みます。
ただし、利用したアンケートサイトにおいて以前にも「偽薬」に関するアンケートおよび広告配信を実施しており、回答者母集団における認知度が予め高まっていた可能性がありますのでご注意ください。
介護用偽薬の積極利用について
全回答者に訊きました。
将来、自身が認知症となり「薬の飲みすぎ・飲みたがり」が問題となった場合、介護ケアの一環として介護用偽薬(プラセボ)を使ってほしいと思いますか?
身近な家族や介護サービスの利用者ではなく、自分自身の問題として偽薬を使ってほしいか否かと言う受け身の質問になっています。
他人に対して自分が使うということより、自身の意識が明らかになる…かどうか実際のところはわかりませんが、能動的質問と受動的質問には何らかの差異があるかもしれません。また、それを期待したところもあります。
さて、グラフを見ますと、介護経験の有無によって考え方が大きく異なることが見て取れます。
介護経験がない場合には「使ってほしい」と考える方は1割程度しかいないのに対し、経験者は3割以上、特に現在家族の介護をされている方では6割以上が「使ってほしい」と回答しています。
また、どちらとも言えず「わからない」を選ぶ方が(「現在-家族」を除く)いずれの回答者グループにも多いことがわかりました。受け身の質問がこうした回答の出方に影響したのかもしれません。
ただし、「使ってほしくない」を選択された方がどのグループにも一定数おられます。どうしてでしょうか?その理由を聞いてみました。
「使ってほしくない」理由
「使ってほしくない」と答えた方にお尋ねします。偽薬(プラセボ)を使ってほしくない理由をお聞かせください。
(「使ってほしい」「わからない」と回答した方は「該当しない」とご記入ください。)
自由記述での回答を求めた本問では、「使ってほしい」、「わからない」と答えた方の中にもその理由を答えていただけた方がおられました。
中庸意見
- とくになし
- ノーコメント
- わからない
- 今は必要なし
- 経験がないのでわからない
- 興味なし
実際問題、自分の身に引き合わせて想像力を未来に向けて駆使すること、それも「認知症になったら」というあまりハッピーと言えない状況を想定させる質問で何らかの意見を表明することはストレスでさえあります。
「特になし」という回答が寄せられたのは、そうした事実に依っていると考えておくことにします。
肯定的意見
- 良いと思う
- 飲み過ぎが解消できる
- お互いに、その薬を使う事でメリットは大きいと思います。安心度が高いです。
- 介護者の負担が軽減するなら
- 本人の為なら
「使ってほしい」という意見の方から、偽薬利用に関する積極的な肯定意見も寄せられています。
どちらかと言えば介護者優先ではなく、被介護者優先の意見が多くを占めるような気も。
否定的意見
否定的な意見はバラエティに富みます。さきほど中庸意見とした「特になし」、「わからない」なども、積極的に「使ってほしくない」方の意見としては、この否定的意見に入るものも多数あるでしょう。
なんとなく、イヤ
偽薬という字面が、響きが、いかがわしさを伴っている。よく分からないけれど、怪しい。だから、使ってほしくない。
そのように考える方が、特に理由なく、気分の問題として偽薬を使ってほしくないと考えるのも頷ける話に思われます。
「理由はないけど、使ってほしくない」という逆接か、「理由はないから、使ってほしくない」という順接かこの答えだけでは見えてきませんが、「よく分からないから、使ってほしくない」など偽薬そのものに対する説明の不足が不信感を生んでいる可能性は大いに考えられるわけです。
倫理的に、許されない。許したくない。
もっと積極的な否定の意見も数多くあります。
- 騙されていて、いや
- 呆けていても自分を騙して欲しくないから
- 認知症を患っていても、れっきとした人格の持ち主なので最低限人間としての尊厳を保ちたい
- 人権侵害だと思う
- 病人と言えども、嘘は駄目です
倫理観や人権意識は偽薬の利用を積極的に否定するでしょうし、使用対象が自分に向かうならなおさらかもしれません。
医薬品への不信、偽薬に効果なし
医薬品そのものへの嫌悪感がある方もおられますし、偽薬の効果で認知症が治ることはないのだから使ってほしくない方もおられます。
効果がないゆえに不必要である。不必要なものをわざわざ身体に入れることをしてもらいたくない。そもそも人工物がいやなのだ、など。
- 偽薬を使うとかより、認知症の予防とか進行を遅らせるとかの方に技術を開発してほしい。
- 偽薬は身体に効かない。実験用マウスにされたくない
使用後の責任問題
偽薬を使っていることがばれたら対応に困る、死んだら困る、など。
使用に際して、おそらくベネフィットは認めつつも、起こりうる実際的な問題に配慮して「使ってほしくない」と考える方もおられます。
全般的問題
自然に接してほしい。不自然だから、など。介護されるものとして不自然な対応をとってもらいたくないとの意見もありました。「他の対応法があるのでは?」とのお声も。
「その時にならないと分からない」というのも当然すぎる程当然のお話で、無理を言って答えてもらっているということは重々承知の上で実施させていただきました。
アンケート回答にご協力いただいた方につきましては、ここで御礼を申し上げます。ありがとうございました。
追記:経験別に集計して見えてくるもの
自身への介護ケアにおける偽薬利用の許諾のグラフを再掲。
「現在、身近な方の介護をしている」場合に、もし自分が認知症になったら(積極的に)「偽薬を使ってほしい」と考えておられるようです。
それ以外の場合にはいずれも「わからない」が多数を占めますが、「介護経験あり」に関しては、どちらかと言えば「使ってほしい」を選択される方が多く、「介護経験なし」では「使ってほしくない」を選択される方が多いようです。
このグラフが示していることは恐らく、「介護経験は、その人の価値観・考え方を変え得る人生上の一大事だ」ということの傍証になるのではないかと思われますがいかがでしょうか。
「介護の経験は、偽薬を使ったウソやダマシの有効活用を肯定する気にさせるのだ」と考えることができるのではないでしょうか。
プラセボ製薬の“偏った”意見
偽薬必要!絶対必要!あなたもきみも、いずれは介護用偽薬のお世話になるよ!
と主張したいがためのアンケート調査でも、偽薬販売事業でもありません。
認知症の方の生活が薬依存的なものとなりやすい現状があるため、また薬物の過量摂取とそれに備える薬剤管理の負担が介護者にとってストレスになりやすいため、実践的解決策として偽薬を販売しているに過ぎません。
イメージ
「偽薬」の印象が悪いことは、恐らく使用を躊躇わせる大きな要因になるだろうと思われます。「安全でない」というイメージ。ただ、偽薬の語が本質的に意味するところは大方食品成分を薬状に成形したものであり、一般的には医薬品より安全であろうと思います。
イメージ払拭問題は、偽薬販売事業の目下の課題と言えるでしょう。
倫理観の転換
嘘や騙しは良くないという倫理観から、偽薬の利用に対する悪感情が生まれる場合があります。
ただし、目の前の事象に対応する必要に迫られた時、その倫理観に反する行動をどうしてもとらなければならない場面が出てくるかもしれません。
倫理観に反した行為や、それ自体を転換することにはどうしても心理的な負担が掛かります。
介護用偽薬というものが存在し積極的な利用が推奨される場合があること、またそうした社会的な状況を創り出すことは偽薬販売事業者としての責務であるかもしれません。
もっと介護者視点で
高齢化社会、要介護者増大時代を生きる上で大事なことは、介護者が共倒れにならないことに尽きます。それは個人的にも、社会的にも。
外れてほしい悲観的な未来予想ながら、今後10年経とうが20年経とうが認知症の根治薬・根治療法なるものは世に出ないと思われます。
であれば、より介護者の負担を軽くするためのアイデアが、工夫が必要になるでしょう。ニセモノのクスリという怪しげなイメージの偽薬にも、その任を担うことができる。
そんな風に思います。尊厳死などを含むより広範な倫理観の大転換時代に、偽薬あれかし。