超高齢化社会における生のあり方を実直に見つめるためには、逆説的ですが「死」について考えてみるのが一番の早道です。
尊厳死や安楽死などの言葉が広く一般化したとはいえ、それを積極的に選択できるような制度は法律的にも医学的にもまだまだ出来上がっていません。
介護の経験は人の意識を変えるか?
さてプラセボ製薬では、インターネットを通じたアンケート調査を実施しました。
そもそもの興味として、以下のようなことが挙げられます。
「介護」という人生上の経験は、それを経験した人の意識・価値観を変えるのではないだろうか?
そして、もし変えてしまうのだとしたら、その思想の転換には心理的な負担(ストレス)がかかるのではないだろうか?
どんな経験にだって価値観を換える潜在的なパワーがありますが、介護にはある一定の方向性に人の考え方を変えてしまう力があるのではないだろうかと考えています。
尊厳死・安楽死にまつわるアンケート
という訳で、新規の調査として尊厳死や安楽死、およびその法制化への議論に関するアンケートを実施しました(調査協力:ボイスノート)。
なお、本調査はインターネット上のアンケートサイト登録者を対象に実施されており、回答者にも同様のバイアスがかかっていることをご承知おきください。
また、プラセボ製薬ではこうした「死ぬ権利」が認められても良いだろうという立場に立っており、その点でアンケート回答から得られたデータの解釈が歪められている可能性を否定しません。予めご了承ください。
さらに、「死ぬ権利」の問題に関しては回復の見込みのない重症の末期患者など年齢を問わない議論がありますが、本記事の都合上、高齢者介護における問題に特化している点をもご了解ください。
回答者の属性
さてアンケート調査は2015年12月1日~23日に実施しました。
全期間中に8,492人の回答を得ると同時に、回答者の属性として介護経験の有無を特定しています。結果は以下の通り。
- 介護の経験はない:6,978人(82.2%)
- 現在、身近な方を介護している:515人(6.1%)
- 過去に身近な方を介護していた:627人(7.4%)
- 現在、職業として介護をしている:237人(2.8%)
- 過去に職業として介護をしていた:135人(1.6%)
8割以上の方が「介護経験なし」でした。
今後の回答は「経験なし」と「それ以外(経験あり)」を別枠で扱い集計しているもの、また「経験あり」を細分化して集計しているものがあります。
介護については「経験なし」の方が「あり」に変化する一方通行の人生経験であると考えられますが、様々な段階と取り組み方の違いがあるためです。
介護を経験する過程で心境の変化があれば各グループの回答にも目立った変化がみられると考えれる、はず。
概要
最初に結果のまとめを示しておきます。
全回答者に訊きました。
安楽死や尊厳死など海外の一部で認められた「死ぬ権利」について、日本でも法制化の議論がなされています。こうした「死ぬ権利」を認めるか否かについて、あなたはどのように考えますか?
確かに、経験や立場によって考え方の違いが生じているようです。
個別にみていきましょう。
介護経験あり・なし
介護経験なし
上の棒グラフが「介護経験なし」の方の回答をまとめたもの。
オレンジがかった「認める派」と、ネズミ色の「中立派」、水色の「認めない派」。きれいに3分割。
超高齢化が進展中の日本と言えども、大勢を占める「介護経験なし」の方のみで議論をすると紛糾するのは目に見えています。
介護経験あり
次に、下の棒グラフが「介護経験あり」の方の回答をまとめたもの。
オレンジ色の「認める派」の割合が増えていることが見て取れるかと思います。「積極的に認める」および「どちらかと言えば、認める」を合わせると、全体の6割以上が「認める」ことに。
灰色部分の割合は微減程度、基本的には水色の「認めない」方の割合が激減すると言う結果になっています。
これを観れば、「介護」という人生上の経験がある種の方向性を持った価値観の変遷、すなわち「死ぬ権利の容認」を導くのではないかと考えられます。
介護とのかかわり方による違い
今度は、「介護経験あり」の方の内訳を細かく見ていくことにしましょう。
身近な方の介護(非職業)
職業としてではなく、身近な方の介護を現在している、あるいは過去にしていた方はどのように考えているでしょうか?
なお、回答の正確さを期すため調査自体は曖昧な表現の「身近な方」を用いて行っておりますが、下図ではその主要な要素である「親族」と言い換えています。文字数削減以上の深い意味はありません。
本記事のハイライトはココ。
現在、身近な介護を行っておられる方は、その約半数が死ぬ権利を「積極的に認める」と答えています。
段階的なグラデーション表現を用いたよくあるアンケート調査の回答においては「わからない」とか「どちらかと言えば」という、中庸な意見が大勢を占める(日本では?)お馴染みの現象がありますが、今回のアンケート調査においてその積極性が明らかになった属性&回答の関係性はココだけでした。
では、過去に介護をされていた方の場合はどうでしょうか?
大雑把に見積もった各派の割合は、現在進行中の方と似通っていますが、「認める派」の積極性の如何が逆転しています。
解釈の可能性
この結果には様々な解釈が可能でしょうが、人間の興味関心は「今、ここ」の目の前にある対象に注がれる傾向があるのではないかと考えられます。
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」ではありませんが、そうした経験も「あの日、あの場所で」という記憶の形になってしまえば、興味関心の度合いは低くなるのかもしれません。
職業介護の経験
では、職業として介護をされている方(されていた方)、言うなれば他人として被介護者の方と接している方の場合には「死ぬ権利」の法制化をどのように捉えられているでしょうか?
いずれも「介護経験なし」と「身近な方の介護をしている・していた」との中間に位置しているのかな、と。
「現在」と「過去に」を比べてみれば、過去に職業として介護されていた方は「絶対に認めない」を選択される方が目立つようです。母数が小さいためかもしれませんが。
まとめ
改めて、全体をまとめて比較したのが下図になります。
百分率グラフ
いかがでしょうか。介護経験の有無によって、いくらか考え方が異なるさまが見て取れるのではないでしょうか。
介護経験者が増えてくる今後の日本社会において、大勢を占める考え方が徐々に、あるいは一挙に変化する可能性もあるように思われます。
実数グラフ
なお、回答者数の実数でみれば以下の通り。
今回のアンケート調査結果を見れば、介護経験の有無によって意見が大きく異なる可能性があります。
今後、死の制度化議論が活発化する場合には、介護経験者の増加が全体の意見を動かす可能性があります。
立場の転換
また、「死ぬ権利」について介護者として考えた方が介護される側に回った場合、どのような考えを抱くのか。
自ら死ぬことを選ぶか否かは、やはり当事者になってみなければ分からない領域に属しているようにも思われます。
回答の理由
「認める」、「認めない」、「どちらとも言えない」などなど、回答時にその選択肢を選んだ理由も一部の方から回答を得ています。
ただ、「どちらとも言えない」としつつも「認める」考えに寄り添う回答や、その逆のパターンなど各人各様の回答がありまして、上記の円グラフに示した以上の何かが得られるわけでもないのかな?と言う感じに思われました。
目の前の事
目の前の誰かを介護しているとして、その人に早く死んで欲しいという気持ちが生じ得ることがあります。
そうした感情は割と自然に起こるもので、ありふれたものではないかと思われます。
今、まさに「死ぬ権利」が認められたら…?
「認めない」と回答された方の中には、本人の意思の尊重ではなく周囲の者の意向が反映され、本人は死にたくないのに殺されてしまうような懸念があることを理由に挙げている方もおられます。
そうした懸念が現実化しないための制度デザインが法制化の議論の中で求められるのは間違いありません。
将来のこと
翻って、将来もし自分が「死の選択」に迷う時が来たらどうするか?を考えていた方もおられるようで。
- 「自分ならそうしたい・そうしてほしいから」死ぬ権利を積極的に認める
- 自分が今している介護を自分がしてもらいたいとは思わないからどちらかと言えば認める
逆に、天寿を全うすることを生命の旨とする価値観から死ぬ権利を認めないとされる方も。
難しい問題だけれど
積極的な意見を持つ方の中にも、死については多くの方が「難しい問題だ」と感じておられるようです。
ただ、超高齢化がますます加速する現代日本の状況を顧みつつ様々な要素を考慮すれば、「死ぬ権利」が法制化される事態は不可避ではないかと考えます。
この問題について、積極的にせよ消極的にせよ何かしらの選択を迫られる場面もでてくるでしょう。
その時、あなたはどのように行動しますか?