進化心理学という複素数的学問とプラセボ効果研究の未来

ヒトの心理を進化論に基づき説明する「進化心理学」。

数の体系を二次元で捉える「複素数」。

両者には大きな共通点があります。それは、既存の体系から見れば異質なルールを矛盾なく整合させ、新たに異次元の説明力を有する体系を構築できたことです。

複素数の簡単な説明

複素数とは、実数と虚数を同等に扱う数の体系です。と言っても何のことやらわからないかもしれません。実数、虚数、それぞれについて簡単に説明してみましょう。

既に複素数について知っている場合は読み飛ばしてください。

実数

1、2、3、…と続く自然数。

…、-3、 -2 、-1、0 、1、2、3、…と負の数を含む整数。

\(\frac{ 1 }{ 2 }\)、\(-\frac{ 1 }{ 3 }\)など、二つの整数を使って分数で表現される有理数。

\(\sqrt{ 2 }\)、\(-\sqrt{ 3 }\)など、分数では表現できない無理数。

以上のような数を全て含む数の体系が実数です。

実数の特徴は、実数同士を足し合わせたり掛け合わせたりしてもやはり実数であることです(0による割り算を除く)。

また同じ実数同士を掛け合わせる(自乗する)と、以下のように必ず0以上の実数となります。

$$\left( – \frac{ 1 }{ \sqrt{ 2 } } \right )^2 = \frac{ 1 }{ 2 } \geq 0$$

実数の世界では、「自乗すると0以上の実数になる」ことが証明できます。

虚数

さて、では虚数とはどのような数でしょうか。それは、以下のような数です。

$$\sqrt{ -1 }$$

この数を自乗すると、次のようになります。

$$\left( \sqrt{ -1 } \right)^2 = -1$$

自乗するとマイナスになってしまいました。

「自乗するとマイナスの実数になる」。この数は、実数の世界で証明されていた「自乗すると0以上の実数になる」と矛盾します。「自乗するとマイナスの実数になる」ような数は実数の世界には存在しないのです。

したがって、これを数として認めるには、実数ではない数とするしかありません。実ではなく、虚である。想像上の数(imaginary number)である。そのような数だとするしかなかったのです。

複素数

実は、\(\sqrt{ -1 }\)を\(i\)と書き換え、以下のような数を考えればすごく都合の良いことが分かりました。

$$2+3i$$

このような数の都合の良さとは、実数の場合と同様に、このような数同士を足し合わせたり掛け合わせたりしても、やはりこのような数のままであることです(0による割り算を除く)。

実数と虚数を並べて表記するこのような数を複素数といいます。

複素数の世界では「自乗するとマイナスの実数になる」ことがあります。「自乗すると0以上の実数になる」こともあれば、「自乗すると実数にならない」こともあります。いずれにせよ、実数も虚数も含んだ複素数の世界では、「自乗すると複素数になる」というわけです。

複素数受容の歴史

進化心理学を複素数的に理解するため、まずは複素数とはどういった数の体系かを改めて簡単に示しましょう。

矛盾のない虚数

複素数とは、実数という自然に理解できる既存の体系からは論理的に導き出せない虚数を導入した、新たな数の体系です。

「既存の体系からは論理的に導き出せない」虚数を新たに導入したこと。そして、虚数を導入したにもかかわらず、既存の体系と矛盾なく複素数として新たな数の体系を構築できた点が重要なポイントです。

虚数が既存体系から論理的に導き出されたものではないという点は、その受容を難しくする原因ともなりました。

虚数の受容

「想像上の数(imaginary number)」あるいは「虚数」という呼称が示すように、導入当初、虚数は否定的に捉えられていました。

しかし、例えば以下のような方程式を実数では解を見出すことができません。

$$x^2+1=0$$

実数の世界では「解なし」としか表現できなかった方程式の問題に解を与える実用性。また複素数を幾何学的に捉える複素平面の導入という「見える化」によって虚数は受容されてきました。

しかし多くのパラダイム転換の例に漏れず、虚数の受容は当時の数学者を含む虚数否定派の人々が加齢などの要因で徐々に表舞台から姿を消すことでかなりの時間をかけて進んだようです。

進化心理学という複素数的学問

さてここまで見てきた複素数がどのように進化心理学と関係しているのでしょうか。

それは、このようなアナロジーです。

実数のような客観性に閉じた世界を構築してきた「科学」からは論理的に導き出せない虚数のような「進化論」を導入した複素数のような学問が「進化心理学」だ。

科学的客観性、再現性

ヒトは論理的であろうと振舞います。科学的探究はその最たる例です。論理的推論は、数々の知識を生み出しました。

しかし論理的推論において何かを肯定的に述べるためには、まず何かを信じなければなりません。

科学の営みから肯定的な情報が得られるのは、科学が何かを信じているからです。科学は何を信じるのか。

それは、客観性でしょう。ここでは詳しく述べませんが、科学における客観性は「全く同じもの・性質・操作を2つ揃えられること」によって主張されます。

客観性を有する事柄から論理的に導き出される情報。それはやはり客観性を有した情報であり、再現性を持つものになります。

科学と進化論

ところで進化論には科学的な客観性があるでしょうか。何らかの実験的操作によって再現可能でしょうか。

残念ながら(?)、進化論を生物学など既存の科学的体系から論理的に導くことはできません。

しかし、動物の骨の化石など多くの資料が実際に進化があったことを示しています。そして進化の原動力が自然淘汰や性淘汰など、自然に仕組まれたアルゴリズムであると考えれば進化には必然性があるように思われます。

そしてここで虚数や複素数の事を思い出せば、科学と進化論を統一的に扱うために必要なことが見えてきます。それは、進化論を信じることです。

進化論を信じる。そこから、学問を開始する。進化生物学や進化心理学、応用としての進化医学など、「進化」を標榜する学問は全てこのように既存の科学的体系からは論理的に導き出せない進化論を信じています。

それは、進化論が論理的に導き出すべき定理ではなく、論理的な推論を為すための公理だとする学問です。

進化論を、虚数のように信じること。そして客観性のみを信じる既存の科学体系を実数と捉え、これらの組み合わせで複素数的な学問を構築すること。これが今まさに学問のあり方を大きく変化させている進化心理学や進化医学などの影響を的確に捉えるアナロジーです。

生命の神秘

ところで、既存の生物学や心理学、さらには進化論自体が共通して公理としている事柄があります。

それは、生命の客観性です。

いずれの生物個体もが常に共通に有している性質としての生命。生物と非生物をより分ける基準としての生命。

こうした生命の存在自体を既存の生物学や進化論は公理として、暗黙のルールとして定めています。

したがって、生物学はもちろん進化生物学や進化心理学では「解なし」となる問いが存在します。

  • 生命がなぜあるのか
  • 生命がどのように誕生したのか

生命の神秘を解き明かす答えがあるとすれば、それは生物学や進化論の外側からもたらされるだろうと思われます。

なぜ○○か?

さて進化心理学が注目されるのは、以下のような説明に妥当な答えを授けてくれるからです。

なぜウンコは臭いのか。

理由を説明しない科学

進化論を導入しない科学体系はこれに直接答えることはできず、「インドールやスカトールといった臭気の元になる化学物質がウンコに含まれているから」と説明します。

より知りたいのは、「なぜ人はウンコに含まれる化学物質を臭気として認識するのか」ですが、客観性に閉じた科学的体系は「なぜ?」の問いに答えられません。

これに応えるには、客観性の外にある何かを信じるほかないのです。

理由を説明する論理体系

例えば、こんな説明。

「神は人をウンコを臭がるように造った」

お茶目な神によるイタズラ心だというわけです。神の存在を信じれば、説明自体は(適当に)できてしまいます。

または、こんな説明。

「ウンコを臭がらない人は、生存を脅かす何らかの理由で淘汰された。ウンコを臭がる人は、ウンコを忌避する行動を取ることで生き残った」

進化論を信じれば、人がウンコを臭く感じるという現在のあり方(結果)から、その原因を論理的かつ肯定的に述べることができます。

これらの説明は、科学的客観性のみを信じる既存の体系からはいずれも「非科学的だ」あるいは「宗教的だ」と批判されるものでしょう。進化や神などを公理(ルール)とし演繹的に理由説明を為す論理体系はいずれも、客観性を重視する科学的立場から見れば宗教的であることを免れません。

しかし、それでも。進化心理学が説明に持ち出す第一原因としての進化論は、これまでの社会科学が前提と見做していた事柄や、その他の虚構的概念と比較して妥当なものに思われます。

なぜプラセボ効果が起こるのか?

客観性に閉じた世界の心地よさ、それを脅かす存在に対する敵愾心。これは人間が進化的に身に着けた心理的特徴かもしれません。

四則演算に閉じた実数と、虚数。

客観性に閉じた科学と、進化論。

論理体系が飛躍的に拡大されるとき、その演繹的なルール追加が受容されるには非常に時間がかかります。実はこうした関係性はプラセボ効果にも当てはまります。

客観性に閉じた科学に依拠する西洋医学と、プラセボ効果。

これらのいずれもが、前者から論理的には導き出せない事柄です。それがあると信じることから始めるしかありません。

意識、文化、社会制度といった、客観性を重視する科学ではアプローチできなかった対象をも取り込み、文字通り次元を超えてプラセボ効果の理解が深まる。プラセボ効果研究は進化医学や進化心理学を取り込み、飛躍的に伸長するでしょう。

そう期待してやまない筆者の『僕は偽薬を売ることにした』。

学問が飛躍的に発展する時、そこには何らかの虚数的概念がある。進化論然り、プラセボ効果然り。興味ある方は是非ご一読ください。