本、読んでますか?
話題の本なら読んでるよって方なら、2015年に芥川賞を受賞した又吉直樹さんの中編小説『火花』はもう読まれたかもしれません。
「ピース」と言うコンビで活躍中の現役お笑い芸人が受賞したことで大変な話題になったその横で、『スクラップ・アンド・ビルド』という介護小説の破壊力は見過ごされがちな気がしないでもない。
でも、見過ごすには惜しいのです。こんなに面白いのだから!
羽田圭介『スクラップ・アンド・ビルド』
「じいちゃん、早う迎えの来てくれることば毎日祈っとる」
「じいちゃんなんか、早う死んだらよか」
毎日毎時そう言い募るじいちゃん。
主人公たる20代後半、求職活動中の孫息子はじいちゃんの切なる(ように聞こえる)願いを叶えるため立ち上がります。
脳内批判と、自制的献身
主人公・健斗は若者の視点から、様々な点で高齢者の心根を批判します。
平日の午後、混みあっている院内の八割ほどが、高齢者だ。知り合いなのか付き添いなのかわからぬが、駄話に興じている常連っぽいろうじんたちだらけで、うるさいくらいだった。サロン代わりに通院している老人たちは一割から三割だけしか医療費を負担せず、残額を負担するために現役世代がおびただしい額の税金を徴収される。健人自身の祖父も些細なことでしょっちゅう通院をせがみ、国庫や健斗たち世代の貯蓄を間接的に蝕んでいた。
病院のサロン化批判。
現役世代の健斗にとって痛みとは炎症や危険を知らせる信号であり、筋肉の痛みに関していえば超回復をともなったさらなる成長の約束そのものである。つまり、後遺症や後々の不具合がないとわかれば苦なく我慢できる。しかし祖父にとっては違う。痛みを痛みとして、それ自体としてしかとらえることができない。不断に痛みの信号を受け続けてしまえば、人間的思考が欠如し、裏を読むこともできなくなるのか。だからこそ痛みを誤魔化すための薬を山のように飲み、薬という毒で本質的に身体を蝕むことも厭わない。心身の健康を保つために必要な運動も、疲労という表面的苦しさのみで忌避してしまう。運動で筋肉をつけ血流をよくすることで神経痛の改善をはかったりはしない。その即物的かつ短絡的な判断の仕方が獣のようで、健斗にとっては不気味だった。
即物的判断批判。
その他その他、高齢者に対する批判が家族に向いたり、恋人に向いたり、介護施設や病院に向けられたりしつつ、脳内から漏れ出ることはあまりありません。
自制を加え、「早く死にたい」という願いを叶えるための策として足し算の介護を実行します。
足し算の介護
必要十分と過剰の境目はどんな場合にもあいまいで、介護においても判断が難しい場面があります。
被介護者の「してほしい」という願いを全て叶えることが必ずしも被介護者自身の為にならず、長期的には「できること」を奪っていく結果につながることもしばしば。
現実の介護現場では引き算の介護によって、被介護者の生活能力の維持・向上を図ります。バリア・フリー思想から、敢えてバリア思想へ。バリアを超えようとする意志と能力を奪ってはいけないのだ、と。
しかし、健斗が祖父に対して行ったのは、バリアをできる限り取り除き、自分でできることまで介助してしまう足し算の介護です。意欲や能力を奪うことが、「はやく迎えに来てほしい」という願いを叶える最も理に適った方法だ、と。
じいちゃんの意志は健斗の思惑を遥か超えて
ネタバレになりますので詳述は避けますが、じいちゃんの意志や能力、もっといえば「生きる力」は、主人公・健斗の思惑を遥か超えて生きようとします。
自らの肉体的・精神的な逞しさを誇っていた健斗は、いつしか祖父のようにヘタってしまう自分を想像してかぶりを振りますが、結局のところ衰えをものともせず躍動するこの生なるものに驚嘆させられ…。
続きは是非小説をご一読ください。
プラセボ製薬的注目点
実は『スクラップ・アンド・ビルド』では、プラセボ的な小道具が登場します。
(じいちゃんの)服薬自殺未遂以来ずっと中身をラムネに変えていた「睡眠導入剤」と記された小瓶の中に、大量にストックのある本物の睡眠導入剤を足し入れた。
ラムネのプラセボ用法が、こんなところに。
また、『羽田圭介氏、テレビ取材に憤り「自分の言葉を8割変えられた」』という記事に依れば、著者の羽田さんは報道で受けた意図的な編集に憤りながらも以下のように語っておられます。
「今年で12年目ですが、漫然と小説家を続けていたら気づくことはできなかった。小説という表現の尊さに気づけただけでも受賞できてよかった。これからも、嘘の言葉だからこそ表現できることを原稿用紙で表現していこうと思う」
ORICON NEWS
人の為、ニセモノだからできること。ヒトノタメ ニセモノダカラ デキルコト。
嘘の言葉だからこそ表現できることを原稿用紙で表現していこうと思う
ORICON NEWS