偽薬は「プラセボ健康基準値」を提示できるか?

プラセボは、限定的ながら既に医療応用されています。

とある精神科医のブログ記事でも、とにかく薬を飲みたがったり、重複して多量の薬を飲んでいる精神病患者さんに対してプラセボ薬を与えている例が紹介されています。

プラセボ薬は錠剤ではなく、乳糖を粉薬として使用されているそう。

プラセボ与薬

ある患者さんに対して

非常によく効く薬なので、飲むのは一日6回までにしてくださいね

と言ってプラセボ薬を飲むように指示したところ、

新しい薬はもの凄く効きすぎて、逆に体がきつくなってしまう。ほかに何か、よく効く薬はありませんか?

と希望されて驚いたそうです。

精神科医の見解

これは私見なのだが、おそらく彼はプラセボ薬を飲んで「効く」と思い込んだことによって、これまで飲んでいた大量の安定剤や抗精神病薬の効果を感じ始めたのではないだろうか。
「効くと思えば効く、効かないと思えば効かない」
薬とは、薬理作用以外にも、インチキみたいな部分がある。つまり、彼が感じた体のきつさという副作用はプラセボ薬によるものではなく、大量の安定剤と抗精神病薬によるものだったのではないか。また、彼が感じた効果は、思い込みが2-3割くらいで、残りは、やはりもともと飲んでいた薬の作用を実感し始めたことによるのだと思う。

あらゆる症状をプラセボ薬で治療できたら、それこそ名医だ。実際には本当に本物の薬が必要な人たちが大多数なので、ここぞという時、伝家の宝刀のごとくプラセボ薬を処方する、というのが良いのかもしれない。

『とりあえず俺と踊ろう:プラセボ薬の凄さ』

他剤との相互作用(?)やノセボ効果など、プラセボを安易に使用すると困ってしまう場合があったり、使用に際して嘘をつくことになるなど問題はありますが、上手く使えばこれほど有用なものはないでしょう。

プラセボ応用例

上記のように、治療目的でプラセボを利用することは実践的に検討されて良い問題です。

というよりむしろ、プラセボでの治療は既に臨床研究が蓄積される段階にあります。

プラセボの医療応用についてさらに検討するため、当記事では診断への応用を考えてみました。きっかけは、「健康基準値」の問題です。

「健康基準値」問題

2014年春、健康基準値の問題が議論を呼びました。

人間ドック学会が数十万人規模の統計データから導き出した新基準値によって、従来設定されていた健康基準値が厳しすぎたのではないかと疑問を投げかけたのです。

事の成り行きに関してここで詳細を述べることはしませんが、大切なことは次の一点です。

その人にとって、客観的に健康だと言える検査数値は誰にもわからない。

誰とは言いませんが、健康基準値は誰かのための便宜上の理由で存在しているに過ぎない可能性があります。

効きすぎる医薬品の問題

現在よく使われている降圧剤や高脂血症薬などの検査数値コントロール系の薬は、健康基準値に基づき投薬量などが決定されますが、その人にとって適正な数値が分からないからこそ、やむなく健康基準値に合わせているのではないかと思います。

そして、薬理学的な効果を持つ薬は、効果を有するがゆえに「基準値に合わせすぎることが可能である」という逆説的な問題があります。

降圧剤を飲んだら血圧が下がり過ぎてフラフラしてしまい、転んでけがをした

など、効きすぎる例が報告されています。

プラセボを使えば個人レベルで健康基準値がわかる?

しかしプラセボを用いれば、プラセボ効果によってその人の健康基準値が見えてくるのではないかと思います。

薬効成分を含まないのに効いた、検査数値が変化したとすれば、それは身体が求めた値であると考えてみるのです。

プラセボ効果が導き出した個々人の身体が求めた値を、個々人の「プラセボ健康基準値」として使用してはいかがでしょうか?

さらに進んで

しかしもし、プラセボで「プラセボ健康基準値」が判明するとしたら、他の薬を飲む必要はなくなってしまいます。

ずっとプラセボを飲んでいればそれで十分だからです。

もちろんプラセボ効果は発現率がそれほど高くないとされていますが、本人の自覚的症状が悪化する場合以外、プラセボ効果が現れなかったのなら数値をコントロールする必要もない、のかもしれません。

あるいは加齢による変化が「死に向かう兆候である」という観念を捨てれば、高血圧だろうが高脂血症だろうが「身体がうまくやっていくために適応した結果である」と考えられるかもしれません。

検査数値に一喜一憂し客観的な健康を追い求めること自体にストレスを感じるより、なんらかの自覚症状が出るまでは医療と距離を取り、やりたいことをやって過ごすのが一番だと思います