プラセボはモノとコトの境界に存在する

「プラセボ」という言葉が指すのはモノであると同時に、コトでもあります。

  • 薬の形をしたモノ
  • 薬の形をしているコト

ただの言葉遊びの様にも思われますが、今少し、お付き合い。

薬の形をしたモノ

「プラセボとは何か?」と見知らぬ誰かに突然に問われても、焦る必要はありません。

例えばプラセボ製薬の「プラセプラス」を懐からおもむろに取出し、

これや。これがプラセボや。このプラセボが、目に入らぬか!

と言って平伏させることができます。

しかしこのモノ性に関する言及は、プラセボの極々小さな一面を示しているに過ぎません。

薬の形をしているコト

「プラセボがプラセボ効果を現しめる要因は何か?」というイヂワルな問題がイヂのワルい薬学部教授によって大学3回生向けのテストで出題され、A4片面の半分を自由記述で埋めなければならない場合、何を書くべきでしょうか。

さきほどのモノ的側面ではなく、プラセボのコト性について書かなければならないように思います。

プラセボが薬の形をしているコトによって、プラセボ効果は現れます。

もし仮にプラセボが入浴剤の形をしていればその気持ち良さはバス○マン効果でしょうし、プラセボが苦悩の形をしていればその解消により得られるのはカタルシス効果でしかないからです。

大学は、優秀な学生を集めて無意味なことにある程度ボリュームをつけて意味ありげに見せる訓練をさせる機関でもあります。

回答案の続きは各自で考えてみてください。

このことからも分かる通り(?)、プラセボはどちらかと言えばコト性の強い存在です。概念的存在と言ってもいいでしょう。

プラセボには実体があってなきようなものです。認識する側の意識を考慮出来なければ、プラセボの何たるかは語れません。

プラセボのコト性を楽しむ

プラセボがモノであると同時にコト的で概念的であるならば、その応用範囲は大きく大きく拡がって行きます。

そしてこの境界に位置するユニークさを楽しむことが、プラセボの価値を上げることになると信じています。