今でこそ月・火・水・木・金・土・日、7日を一まとまりとする週単位が私たちの生活や社会を規定していますが、古代バビロニアに起源をもち、キリスト教世界に広がった曜日や週の単位が日本において一般化したのは明治以降、太陽暦の導入時のことだそうです。
江戸時代には、概念として「週」なるものは存在していなかった。
ところが、江戸時代の売薬の包装単位においては7日を基礎とする考え方が広く一般に流通していたことが『薬包装の近現代史』で指摘されていました。
週の概念を適用した「一週間分」の処方でなければ、この7日間とは何を基準とした日数なのだろう?
売薬とは
なお、江戸時代に販売されていた「売薬」とは、現代で言う一般用医薬品とかOTC医薬品に当たります。
もちろん現在、西洋医薬品と呼ばれるような錠剤やカプセルを主としたものではなく、草根木皮の生薬をメインとしていました。丸っこい丸薬はあったのかな?
医薬品の販売や広告に規制のなかった(あったとしても、非常に緩い)時代の薬包装は結構バラエティに富んでいるというか、今では考えられないような大胆な手法や表現もあって面白い。詳細は『薬包装の近現代史』をご参照のこと。
一回り、一廻り
さて、7日間を単位とする「一回り」。週の概念がないのに、なにゆえ「7」という基数が利用されたのか。著者の服部昭さんは丁寧に追求されています。
なお、温泉地にしばらく逗留して療養する湯治についてもその期間を七日間とする考えが受け入れられており、服薬に加え湯治の習慣形成という観点からも考察があります。
①民俗学的要因
縁起が良いとか、ラッキーナンバーだとか、「七」にまつわる民俗学的な因縁と言うかこだわりと言うか、それらが売薬の販売単位にも適用されたという仮説。
7はラッキーな感じをもった聖数として世界中で尊重されてきた歴史があり、今も通用しています。
ただ、日本においては末広がりの「八」が好まれたり、中国でもそうですが8にこだわる理由としても民俗学的な要因が挙げられ、敢えて「七」を選ぶ理由としては弱いのではないかとも考えられます。
②西洋の暦由来 ― 宗教的安息日の考え方
聖書には安息日が明記され、七日ごとに日曜日がめぐるこのサイクルがキリスト教的世界観を基礎づけていました。
鉄砲の伝来を契機として織田信長の活躍、豊臣秀吉の天下統一、徳川家康の江戸幕府という一連の流れは日本人にとってお馴染みで、鉄砲の伝来と同時期にこれまた有名なフランシスコ・ザビエルらの宣教師が来ていたことを考えれば、江戸時代には始めからキリスト教に触れる機会があったことを示します。
ただし、明治期の太陽暦導入において一般民衆には混乱が生じたとされていることから、一週間を基礎とする日数の捉え方が一般的ではなかったと考えられます。
③中国伝統医学の影響
医療、医薬の側面で日本の歴史を見れば、その影響や欧米よりむしろ中国から強く受けていることは間違いありません。日本で発達した漢方医学も、中国の影響抜きには考えることができないでしょう。
ただし、「七」に関してそれほど見るものはないそうで。その起源・理由に迫る事はできないそうです。
『太平記』には「毒殺せしむるには、7日間服毒させよ(意訳)」のような記載があるそうですが、どうして7日間なのか?の疑問には答えてくれません。
④江戸時代の医療と治療期間
江戸時代の書物をひも解けば、医療における医薬の使われ方や湯治のすすめが認められるそうですが、売薬で広く利用された「一回り」単位が、医師の間ではそれほど使われていなかったそうな。
7日で治療が済む(=治癒する)から、7日分なんでしょ?
そんな風に思われましたが、取り敢えず江戸期の医書からはそうした記載が見当たらなかったと。
⑤江戸時代の湯治と「一回り」
「三か月の塩湯にうつる影見れば かたわもなおる七日七日に」
そんな歌が有馬温泉にはあるそうで、繰り返しになりますが湯治にも7日を単位とする「一巡り」が適用されていました。
ちょっと話が逸れますが、良いですね、湯治一巡り。7日間ゆっくりくつろぎながら温泉に浸かる。全国民が年に一度は実施すべきじゃないかと思われます。江戸時代にはどんな人が湯治を実践していたのでしょうか?百姓層にもそんな余裕があったのだろうか?
今ほど多様な娯楽産業がないこの時代、最上級のレジャーだったのではなかろうかと思われます。
⑥湯治と生体リズム
閑話休題。
主に病人が行っていた湯治の習慣においては、生体リズムが重視されていました。治療効果というか、目に見えて、肌感覚で感じられる体調の変化には7日程度を要し、これを「一回り」とする。
また中国伝統医学では7日間を治療単位とすることがあり、これを服薬期間として「一回り」という湯治用の語彙を拝借して販売単位・包装単位として利用した。
そんな風に(一応)結論付けておられます。
プラセボ効果、その他との関連
なぜこのことに興味を持ったかと言えば、もちろんプラセボ効果に関係があるように思われたからです。
ことわざ、あるいはジョークとして
「風邪は治るのに7日かかるが,薬を飲めば1週間で治る」という諺というかジョークがイギリスにはあるらしく、効いたって言っても薬が治したわけじゃないよプラセボだよ、みたいによく(?)言われたりします。
生体リズムと言うか人が治るということにおいて外的な要因よりはむしろ内部にあるもの、自然治癒力が最も大事で薬なんて大勢に影響なし、みたいな。
そんなら薬なんて全然いらないのか!?
というとそうでもなくって、風邪だってなんだって身体が頑張って治そうとしているところで起こる免疫反応、病原体の排泄などなど、その人自身を不安にさせる要素に満ち満ちています。
7日で治る、と事前に知っていたとしてもこの不安を消すことができない場合、薬はとても役に立ちます。
必死に風邪と戦い、7日後の回復を目標としているのだ!その為に、体に良いことをしているのだ!
と強く思い込むことが出来れば、不安を解消するという意味ではそれなりに意義があり、薬そのものが薬効作用を発揮して病原体を死滅させ排除するというよりはむしろ、気を強く持たせる効果に価値が見出されています。
風邪薬が提供するのは「なにもしない不安な7日間」を、「身体をいたわり回復の期待を抱いて過ごす7日間」に換えてしまう魔法であるといっても良いでしょう。
「一回り」がこうした回復期間に由来するものか、『薬包装の近現代史』では積極的に肯定されていませんけれども。
マジカルナンバー7
人の生活に見られる規則や社会的な行動の原因として、ヒトの進化論的な事柄や動物としての能力・心理に基づき説明をする学問が今隆盛を極めています。
7について即座に思い出されることと言えば、「マジカルナンバー・セブン」と言うやつでしょうか。認知心理学で指摘される人間の「数」把握能力についてのお話です。
人間の短期記憶に関わっているとされていますが、一度に覚えられる事柄の最大値は7(±2)であると。
「なくて七癖」は何人も数えられるくらいにはクセがあることを示し、逆に「八百屋さん」には数えきれないほどの野菜が並べられている、などなど実社会でもその傾向が現れています。
売薬の包装単位として、このマジカルナンバー7が関与しているとしたら?
包装単位に包装する裏方の人間に思いを馳せてみたらば、何となく「八」でひとまとめにする作業はやり辛いのかもしれません。なぜだか確認作業が増えて、なのにミスが減らない。ところが「七」にすると一発で把握できるので、ミスも少なく作業効率アップ!こりゃいいや!…という仮説が成り立つかと。
もちろん裏付けとかない話なので、話半分にてご笑納くださいますようお願い申し上げます。