小池龍之介さんの『考えない練習』(小学館)には、考えないのススメが記載されています。
ヒトは「○○しない」という否定形を理解して実行することが苦手なので、考えないをしようとしても上手くいきません。
では、何をすればよいのでしょうか?
それは、五感で感じることだと言います。あれ、そんな話どこかで…?
反射的な判断を保留する
正直なところ、本書は全体を通じて著者の価値観(「『欲』は良くないものだッ!」など)をガンガンと押し付けてくるところがありますので、買って通読することをオススメする類のものではありません。
価値ある考え方
しかしながら、第2章7節に書かれた考え方については一考の価値があるように思われます。
それは、感覚的な情報の判断を保留するという考え方です。
- 寒い
- 暑い
- 痒い
これらの言葉は、冷覚、温覚、あるいは痛覚と関連するような皮膚感覚から得られた情報を脳で処理した結果を表現したものです。
多くの人はこの判断を反射的に行っているため、『ざわざわとした皮膚感覚→「痒い!」→嫌!』という一連の思考の流れを常に最速でこなしてしまうようです。
小池龍之介さんが薦めるのは、刺激の入り口で集中して感じてみるという対処法です。
その感覚はどんなもの?
既に物心ついた方なら、普段の生活で感じる感覚には既に何らかの言葉があてはめられているはずです。
上に挙げた「寒い」や「暑い」、「痒い」などは不快を伴うものとして認識されているかもしれません。
刺激の入り口で集中して感じてみるというのは、これらの言葉を取っ払って感覚そのものに集中してみようと言うことです。
そんなそもそもの問いかけを自分に問うてみる。その感覚に集中してみる。
そこには、考えないに至る一つの大きな筋道があります。
「少しも寒くないわ」
毎冬そんな会話が中高生たちの心をホットにしているのを見かけたりしますが、そんな光景を横目でクールに眺めつつ「寒いって感じてるこの感覚って、そもそもどんなものかな?」と寒いと判断を下す考えを絶ち、そこにある冷たさを感じてみる。
あぁ寒い とっても寒い あぁ寒い
脳や心が生み出しているらしき解釈を保留することで、冬中感じるこんな不快を軽減できるかも知れません。
プラセボ効果と知覚
プラセボ効果が医療の現場で見られる原因の一つとして、普段意識していなかったような感覚に対して鋭敏になることで解釈の変化が起こりやすくなることが挙げられています。
言語による知覚過敏
こうした示唆が、普段意識されていなかったような気分の波を鋭敏に感じ取らせ善きものと解釈させる、といった様に。
感覚そのものとそれに基づく実感的解釈の間には隔たりがあり、上手いことすれば善き解釈を作為的に創り出せるかもしれない。
これは間違いなく、プラセボ効果研究の一つの目標でしょう。
プラセボ効果を応用して
プラセボ(偽薬)によって感覚が鋭敏になることがあるのだとすれば、それを応用して積極的に利用してみようという試みがあっても良いだろうと思います。
- 考えないために、プラセボを飲んでみる
- 感じるために、プラセボを飲んでみる
実際のところ、そうした期待のないところに実現もあり得ません。
プラセボを使って、生活の一部を考えない時間に充ててみる。
充実が無から生まれるという発想には、論理を越えた魅力があるように思われます。