高校の物理の授業で光の反射や屈折に関する問題を解く。
与えられた条件とsin関数を駆使して難なく、あるいは四苦八苦しながら解く。
そうしていれば授業にもついていけるし、テストで良い点も取れる。上手くすれば、大学入試にだって合格できる。
これ以上ハッピーな事ってそうそうないね。
Everything is alright.
でも、ちょっと待った。
実際の光って、計算しながら進んだりしてるのかな?
光がsin関数を駆使して自らの進むべき道を確認してるなんて、どうしても信じられないや。
ずっとそんな風に考えていました。
Welcome to the real world.
『世界はデタラメ』だ
『世界はデタラメ: ランダム宇宙の科学と生活』(ブライアン・クレッグ著、竹内薫訳、NTT出版)は現実の世界に潜む無作為性(ランダム性)に取り組んできた科学の歴史を数々のエピソードと共に辿る好著です。
訳の不自由感はさておき。
ファインマン先生曰く
なかでも、量子論に取り組んだ天才たちの四苦八苦っぷりはとても興味深いものがあります。
量子電磁力学(量子電気力学)の分野で日本人の朝永振一郎氏と共に1965年にノーベル物理学賞を受賞したリチャード・ファインマンが一般向けの講義で語った内容はとても面白いので引用してみます。
これからお話ししようとしているのは、大学院で物理を専攻する3年か4年の学生に教えている内容です。私は、みなさんが理解できるように説明すると思うでしょう?違うんです。わかるようにはなりません。ならばなぜ、私はこんなことにみなさんを付き合わせるんでしょう?なぜ、みなさんは私がお話しすることを理解できないのに、じっと座っているんでしょう?理解できないからといって目を逸らしてはいけないということを、みなさんに納得してもらうのが私の務めなのです。実をいうと、私の物理専攻の学生たちも理解していないんです。そもそも私だって理解していないんですから。誰も理解してやしません。
(中略)
量子電磁力学の理論は、自然界が、常識的に見ると、不条理で馬鹿げていることを示しています。これは実験とも完璧に一致しています。そこで、みなさんには自然界を、あるがままに受け止めてほしいのです。不条理で馬鹿げているものとして。わたしは、その馬鹿馬鹿しさについて気軽にお話しするつもりです。だって、愉快なことですからね。自然界がそんな奇妙なものだとは信じられないからといって、背を向けないでください。最後まで聞いてもらえれば、私と同じくらい喜んでもらえると思いますよ。
敢えてここで付け加えるならばプラセボ効果だって誰も理解してやしないのですが、それもさておき。
量子力学の窓から覗いて見れば
「光自身は計算するか?」という冒頭で提示した問いの発展形と、その解釈が本書では示されています。
光の主体性
窓ガラスを通り抜ける光と、反射する光。
光を粒子だと考えると、窓ガラスと出会った光子たちはある割合で異なった道筋を辿ることになります。個々の光子がどちらの道を選ぶかはわかりません。純粋に確率的(無作為)に決定されます。
またその割合(確率)は窓ガラスの厚みによって変化します。
とすると、個々の光子は事前に窓ガラスの厚みを知っておかなければ正しい確率で道別れすることができません。
この現象を正しく、と言うか現実に沿って理解するには、ファインマン先生の最高傑作たる経路積分を用いなければならない…というお話の続きは是非本書を手に取ってご確認ください。
とここまで書いてきて少し気になったので光の屈折や反射の解説を見ていたら、高校物理的解釈は光を波と捉えてホイヘンスの原理を応用するものだったのですね。
たしかに、世界も高校物理もこの記事もデタラメだ。
経路積分的アプローチでプラセボ効果を探る
ここで経路積分が何かを説明することは困難ですが、ファインマン先生が考案したそのアイデアの骨子は「確率的に取りうる経路を全て足し合わせた結果が、現実に観察できる現象になる」ということ(らしい)です。
経路分析的アプローチには、臨床試験で認められる総体的なプラセボ効果を事前に予測できる可能性があるかもしれません。
(個々の光子が反射するか透過するかは分からないのと同様に)個々の被験者がとりうるプラセボ効果の発現確率は分からないけれど、(反射光と透過光がある割合で別れることを予測できるのと同様に)被験者全体でのプラセボ効果の発現割合は分かるというように。
妄想の域をでない戯言ですが、誰も理解していないプラセボ効果という現象に対してどれだけ面白いアプローチができるかを試すのは馬鹿馬鹿しくも愉快なお仕事だと勝手に思っています。