『「筋肉」よりも「骨」を使え!』という本を読んで、“あのマンガ・アニメ”を思い出す人も多いのではないでしょうか?
パワー v.s. スピード
時はセル・ゲーム直前、圧倒的な実力差を見せつける完全体のセルに対して二組の親子はそれぞれの修業を積んで挑むことを決意します。
精神と時の部屋にまず入るのは…とここまで読んで「何のこっちゃ?」と思われた鳥山明先生の『ドラゴンボールZ』未読者は以下、飛ばして読まれることをお勧めします。
ベジータ&トランクス
時の進行が現実世界よりも遅くなる異世界「精神と時の部屋」にて、まず先に入ったベジータとトランクスの父子は厳しい修業を積み、圧倒的な「パワー」を手に入れます。
ガチガチにビルドアップされたベジータ、ムチムチに仕上がったトランクス。
2人のスーパーサイヤ人は、この鍛え上げられた筋肉を駆使してセルに挑みかかります。しかし…「パワー(筋肉)」を鍛え上げた結果、「スピード」が打ち消されたためセルには全く歯が立ちません。
パワーを追い求めるトレーニングは実戦では使えない筋肉を増やしていただけでした…。
悟空&悟飯
次に「精神と時の部屋」に入った孫親子は、パワー型の厳しいトレーニングを選びません。彼らが行ったのは、激しい怒りによって目覚めた戦士たるスーパーサイヤ人の状態で穏やかな心を持つ修業でした。
修業を終えた2人はセルと対峙します。まず悟空が挑みかかると、ベジータやトランクスでは全く歯が立たなかったセルと対等にやりあっているように見える修業の成果に他の者たちは驚きます。
「なんて強ぇんだ!これは…セルを倒せるぞ!」
しかし、ともに修行を積んだ悟飯くんだけは違った感想を抱いたようで…。
筋肉を鍛えるトレーニング
『ドラゴンボールZ』の続きは各自アニメや漫画でご確認いただくとして、『「筋肉」よりも「骨」を使え!』においては共著者の一人、松村卓さんのトレーニング歴が披露されています。
陸上短距離の走者として活躍した松村さんは現役時代、ガチガチに筋肉を鍛え上げることがスピードを得る唯一の道であると信じ、ひたすらにその道を歩み続けました。ベジータ&トランクスの父子みたいに。
しかし怪我に悩まされることも多く、引退後にトレーニング法を見直しをはじめます。その核となる発想はタイトルにある通り『「筋肉」よりも「骨」を使え!』。
骨で動く。骨が動くことで、筋肉がついてくる。これまでの人体運動学や解剖学を覆すそうした発想は、武術家・甲野善紀氏との対談において深められていくのですが…こちらも興味のある方は是非著書を手に取ってご確認ください。
トレーニング論からプラセボ論へ
『「筋肉」よりも「骨」を使え!』ではトレーニングの話や体術的身体操法の話において、「今の科学」で捉えることの無理さ、無意味さを強調しているように思われます。
科学によって身体のことがうまく説明される機会も増えているようですが、実際のところ現代のトレーニング論が拠って立つ科学性は、眼前にある身体の複雑性に全く歯が立っていないのかもしれません。
筋肉的パワーによって挑みかかる科学は、スピード(運動性)と複雑性を兼ね備えた身体に全く歯が立たない…。
プラセボ効果そもそも論
同じことは、プラセボ効果についても言えます。そもそもプラセボ効果とは科学では説明できない治癒現象の原因として創造された説明原理です。
科学の及ばぬ範囲を一括りにまとめて医学や薬学の外側へほっぽり出すために生み出された概念と言い換えても良いかもしれません。
眼前にある身体の複雑性は、その操法に限らず、生理的な面でも科学の追随を許しません。
適当な正しさを勝手に規定しその上に危うく立ち続けるしかない科学によってプラセボ効果を捉え切ることは決してできない…そんな風にも思います。
正しさを求めず、常に実験的好奇心を
『「筋肉」よりも「骨」を使え!』でも述べられているように、答え(=絶対的な正しさ)はいつになっても見つからないかもしれません。しかし、そのヒントは既に私たちの目の前に、あるいは目の下や上や周辺に与えられています。
我が身をもって、試みること。
科学を装った正しさに浸るより、とりあえず試してみる実験的な好奇心をもって身体に問うてみることがこれまでにない発想を生み出すきっかけになると信じてみることが大事なのかもしれません。
プラセボ製薬では、そうした柔軟な発想に基づく「健康観」を提示できればと考えています。