神や霊や妖怪その他の超自然的行為者の存在(感)とプラセボ効果の類似について、当ブログの過去記事で触れました。
要するに、「不可解現象に対する説明の不足を、新規の概念を創出することで補ったんじゃない?」というわけです。もしかするとそれは、動物としての人間の本質にかかわる問題かもしれません。
ちなみに…本記事では、プラセボ効果が現れるとき、脳では何が起こってる?、などの「プラセボ効果の神経基盤」を扱いません。むしろ「プラセボ効果を見出しやすい私たちの認知的傾向」について触れています。
「心の理論」研究の進展
近年の顕著な科学研究の成果として、「心の理論」があげられます。
心の理論(こころのりろん、英: Theory of Mind, ToM)は、ヒトや類人猿などが、他者の心の状態、目的、意図、知識、信念、志向、疑念、推測などを推測する心の機能のことである。
『心の理論 – Wikipedia』
心とは他者をシミュレーションする脳の機能であるとの理解から、その機能を遂行するために発達させてきた認知的能力や、そもそもなぜシミュレーション機能を発達させなければならなかったか、といった疑問に答えを見出す試みが非常な勢いで進展しています。
そして、こうしたヒトという動物の理解を深める上では「進化論」が最も強力かつほぼ唯一の武器(説明原理)であり、今回扱うような分野は特に「進化心理学」と呼ばれます。
しっぽがなくなり、体毛が薄くなり、脳の容積が拡大し…といった「見た目」の進化と同じように、何をどう見るかといった「目に見えない認知機能」においても進化があり得るのだと。認知機能の進化は、個体の生存・繁殖可能性を増大させ淘汰されずに生き残る機会を与えたのだと。
進化心理学による「心の理論」の解説書
さて今回参考としたのは、『ヒトはなぜ神を信じるのか―信仰する本能』(シェリー・べリング著、鈴木光太郎訳、化学同人、2012)です。
訳者あとがきに依れば、下記文献に連なる「進化論的宗教本」の一冊ということになります。
科学の発展の歴史(の大枠)は「何から何まで説明できちゃう神というチート概念を用いずに、自然現象を説明したい」という無神論への歩みであった訳ですが、今まさに行われていることはもっとヒトとカミサマに寄り添いつつも完全に抹殺しようとする試みです。
神は妄想だけど、人間は神を妄想しがちな認知的傾向を持っており、その認知機能の傾向は進化論的に説明がつく。ヒトと、チンパンジーなどヒト以外の動物を対象として実験的に明らかにしてやろうというわけです。
ニーチェが「神は死んだ」と宣言して以来、脇におかれていた神に関する問題は、21世紀の今、新たな日の目を見ています。
進化と淘汰
人間は社会的な動物であり、言語を獲得した唯一の種であって、「心の理論」を進化に則って論じる上ではこれらの人間的特質を十二分に用いることが求められます。
もちろん「宗教的観念」についてもそうで、実のところ「わたしは、常に誰かに見られている」と考える個体の方が現代まで淘汰されず適応して生き残ってきたのだとされていますが(逆に言えば「おれっちは誰にも見られてないもんね」と考えがちな個体は環境に適応できず淘汰された)、この「常に見ている誰か」が「神」と考えれば好都合でしたよと。
「常に誰かに見られている」と考えがちな個体がなぜ生き延びたかと言えば、言語によって不特定多数に伝達可能な他者に不道徳行為(ゴシップ)を見とがめられる確率を減らし、生存や繁殖の可能性が低くなる社会的抹殺を受けづらかったためだと説明することが可能です。
他者から見た自分を意識することからの逃れ難さは、進化が脳に植え付けた本能に原因があるのでした。
「心の理論」と説明原理
心の理論は他者の心ありようをシミュレーションし、自分にとって何が有利な行動かを「意図」という物語によって説明する機能としても発達しました。「意図」の物語が「神」を持ち出すことで(すなわち、反証不可能な説明原理とすることで)完結するという体験は、神の存在をゆるぎなくもしてくれます。
こうした例は前掲『ヒトはなぜ神を信じるのか―信仰する本能』で解説されていますので、興味があればご参照ください。
治癒現象を説明したい
さて「自然治癒力とは何か?」と言われると決定的な答えはまだないように思われますが、「自然治癒力が進化上、利益をもたらしたか?」を考えてみれば当然首肯せざるを得ません。
生命誕生以来、傷ついた際に時間を掛ければ自ら治る力のある個体は、ほっといても治らない個体より生存・繁殖の可能性が高かったはずです。もちろんこのことは自然治癒力の「獲得」を説明しませんが、その「適応」は誰にも異存がないはず。
ヒトもその進化の歴史上、自然治癒力を大いに発揮して厳しい環境を生き延びてきたはずですが、一方で呪術や医術に代表される「他者による治癒」をも開発してきました。
「目的-機能論的推理」という認知的なクセをその説明の物語に忍び込ませつつ。
他者による治癒
他者による治癒は、そのほぼ全てが「意図」によって、「目的」を暗黙の前提とした物語として説明されます。
呪術による治癒を例にとれば、「治癒が得られたのは、呪術が本来もつ機能のおかげである(呪術は治癒をもたらすために行ったのだから)」。
医術による治癒の場合にも同様に、「治癒が得られたのは、医術が本来もつ機能のおかげである(医術は治癒をもたらすために行ったのだから)」。
両者とも治癒をもたらすために具体的な行為をおこなうのだと暗黙に、ごくごく自然で自明過ぎて証する必要のないこととして仮定し、「具体的な行為」が治す機能を具備したものと推論されます。自然治癒力といったものはこの物語にふさわしくないため、登場することはありません。
意図や目的を持った知的行為者(=神)を明確に心に描く人なら、こう推論する(物語る)かもしれません。「治癒が得られたのは、神が本来持つ機能(奇跡)のおかげである」
いずれも、説明原理を与えたがる「心の理論」に端を発しているように思われます。
プラセボ効果
しかし、ある種の治癒現象はこうした推論を許しません。例えば、有効成分を含まない偽薬によってもたらされた(ように見える)治癒を考えてみましょう。
「治癒が得られたのは、偽薬が本来持つ機能のおかげである(偽薬は治癒をもたらすために用いられたのだから)」
この「目的-機能論的推論」から得られた物語は、非常に疑わしく思われます。偽薬には治癒をもたらす機能なんてあるはずないのだから、説明になってないじゃないか、と。
ここには、科学的真理は別にして様々な説明(疑惑の回避)の可能性があります。「治癒が得られたのは、偽薬を用いる行為者の宗教的パワーが持つ機能のおかげである」とか、「治癒が得られたのは、偽薬とは無関係に自然治癒力のおかげである」とか。
しかしもっとアクロバティックに、科学の進歩の歩みを進めるべく「神」を用いない形で説明を可能にする方法があります。それは、そうした機能を持つ便利な概念を創造することです。
すなわち、「プラセボ効果」を説明原理とすることで、「神」を用いることなく疑惑を回避できます。
「治癒が得られたのは、プラセボ効果のおかげである(プラセボ効果は治癒をもたらす現象を説明するために創造された概念なのだから)」
…いかがでしょう?これで説明になっているでしょうか?どうにも怪しいと言わざるを得ないのではないでしょうか。しかし「目的-機能論的推論」は、「神」を見出したのと同じ認知機能たる「心の理論」が私たちに否応なく見せつける説明に納得を与えたがっています。
「治癒が得られたのは、プラセボ効果のおかげである(プラセボ効果は治癒をもたらすのだから)」
いかがでしょうか?神を信じる人にとっての「神」説明と似通ってくることが分かるのではないでしょうか?
ヒトという動物にとっての「説明」の価値は、真理の提示よりむしろ「納得」という安心感を得るためにあるようです。
プラセボ効果の不安定
プラセボ効果は説明のための便宜的な概念であり、その本質ゆえに「うやむやにされた感」から逃れることができません。
こうした場合、様々な言い換えが幅を利かせることになります。「思い込み」などはその最たる例でしょう。また「プラセボ効果発現における脳科学的な神経基盤」を追求することも、言い換えの一環といえるでしょう。
神が存在するか否かと同じくらいにプラセボ効果が存在するか否かが争われたりしていますが、ヒトの進化が生み出した心理的な幻影という出自を考えればさもありなんといった感じでしょうか。
ただ、同様の疑念は呪術だけでなく(現代医療を含む)医術にだって呈することはできて、「納得」が「真理」からもたらされるわけではなく、「偏った認知と推論」によってもたらされるのであれば果たして…。
複雑なカラダ
私たちの身体は多数の要素が絡み合う複雑系のシステムです。多分に予測不可能な側面をもっており、真理を見出すことが可能な部分はそうでない部分よりも小さいかもしれません。
しかし、「心の理論」は納得を与えてくれます。複雑系の身体に巻き起こるプラセボ効果の科学的真理を見出すことは非常に難しいでしょうが、プラセボ効果という概念を用いて主観的世界に納得を見出すことは非常に簡単です。
「神」を見出すために進化を重ねて培った我々の心理的な本能を振り向けるだけで、簡単に納得できるはず。我々の本能は、それっぽい説明で納得したがっているのだから。
…そんなんじゃ納得できない?
それはよかった!プラセボ効果に関するよりよき納得の為、さらに思索を深める資格があなたにはあるようです。プラセボ効果の存在・非存在も含め、議論すべき事柄はまだまだ尽きませんし、その探求心は最新の科学に触れるよききっかけともなるかもしれません。
現時点では最高峰と言える参考図書のご一読をオススメしておきます。