雑誌『ナショナル ジオグラフィック』のプラセボ特集がすごい

美麗な写真をふんだんにちりばめた誌面が特徴のビジュアル型科学誌『ナショナル ジオグラフィック』。

2016年12月号では「信じる者は癒される?」と題して、プラセボ効果特集が組まれました。

目を引く写真の数々。

シャーマン(祈祷師)による治療風景を写した写真の、いけにえにされた豚。

科学的医療が全盛の時代に前時代的な治療法を施す未開国の様相だろう…と思われたなら、なにかしらの偏見をお持ちかもしれません。

しかしこれは、先進国・米国はカリフォルニア州のマーセドという街で撮られたものだそうで。

霊を視るスピリチュアルな精神

2016年11月末、不適切な健康情報を提供しているとして上場企業運営の巨大サイトが閉鎖に追い込まれる事態となりました。

不適切である理由の一つとして他者の著作権を侵害する、いわゆるパクリの問題が挙げられています。しかし、事が大きくなる発端となったのは医療・健康に関する情報が不適切であったためでした。

霊的原因への言及

特に不適切な例として挙げられるのが、「肩こりの原因は霊?」という記載。

んなわけねーだろ!とのツッコミが非常な勢いでシェアされ炎上状態となり、その他諸々をも巻き込んでサイト閉鎖という事態になってしまいました。

もちろんパクリ問題や「死にたい」検索者にアフィリンクを踏ませる営業手法、その他薬機法違反と思しき記載などなどがあったがための措置でしょうが、肩こりの原因の一つを霊の仕業とする記事が象徴的な例として広まることとなりました。

シャーマンと霊

しかし、冒頭に挙げた「いけにえの豚」を供して行うシャーマンの治療体系においては霊的な存在が前提されています。写真キャプションから一部引用してみましょう。

葬儀に参列していて気分が悪くなった男性(右側)の魂が冥界へ連れ去られないように、いけにえの豚がささげられた。

『ナショナル ジオグラフィック』2016年12月号(68ページ)

「魂」と「霊」では少々概念的な相違がありそうですが、いずれにせよ、葬儀参加中の気分の悪さに対する説明として目に見えない何かが想定されています。

説明原理としての霊

当のサイトについては問題山積、閉鎖やむなしであったかと思いますが、象徴的に取り上げられがちな「肩こりの原因は霊?」という記載については、よくよく読んでみれば内容にそれほど問題があるようには思えませんでした(パクリであれば問題ですが、そうではないとして)。

物事を説明する原理として霊を紹介しているに過ぎないからです。それが神や妖怪や怪異の類であっても大差はありません。

科学的な物差しで測れば説明原理に優劣はあるのかもしれませんが、科学もまた一つの説明原理であり、相対性から逃れることはできません。

プラセボ効果と呼ばれる現象だって科学的な装いを施されてはいますが、実のところ説明原理の一つでしかなく、霊による説明と同列にあるもののように思われます。

「説明原理」という言葉をさも一般的なもののように使っていますが、ここでは「それさえあれば、一応の説明がついてしまうもの」と捉えていただければと。

「霊」や「神」や「妖怪」、それに「プラセボ効果」は、それさえあれば非常に多くの(すべての?)事柄に一応の説明がついてしまいます。しかも、原理的に。

それを創造し想像するのは人間の大きな脳がもたらした非常に優れた能力の一つかと思いますが、とにかく。受け容れられるか、受け容れたいかとは別次元の問題として、一つの説明として「霊」を持ち出すこと自体に問題はなかったと、そう思います。

物語の有用性

こと人間の健康に関しては科学的知識の及ばない部分が大きく、また何らかの不調に対する受容可能な説明としてどれほど科学性に重きを置くか否かは個々人によって違っている為、ある場合には霊の存在を前提とした物語を演じることが治癒に繋がる可能性があります。

米国カリフォルニア州でシャーマンの治療を受けていた魂の実在を信じる患者のように。

ここには虚構と現実が思っているほど明確には分かちがたいものであるとする近未来的な認識と合致するものがあるかもしれません。

VR機器の普及が進む昨今、そこから得られる知覚や感覚や感情はどれほど現実であるのか。はたまたすべてが虚構なのか。

真理と倫理の狭間で

少しどころか大分話が逸れてしまいましたが、『ナショナル ジオグラフィック』のプラセボ効果特集に話を戻しまして。

マイク・ポルティック氏の場合

すごく印象的な話題として、セレジーン社による遺伝子治療法の臨床試験に参加したパーキンソン病患者(マイク・ポルティック氏)のストーリーが紹介されています。

科学性を重んじるセレジーン社ではまさか「ポルティック氏のせいで…」とは思わないでしょうが、臨床試験の結果、当の遺伝子治療にはパーキンソン病の改善効果が認めらられず開発を断念しています。

しかし、ポルティック氏は確かに効果を実感していたのです。プラセボ治療によって。

少数患者試験では一人でもプラセボ群の患者が著効を示せば、新薬開発を断念させるほどの影響力を発揮することがあります。もちろんそれは科学的にも、開発企業的にも、また患者にとっても悪いことではないのですが。

ラッセル・プライス氏の場合

また別のパーキンソン病患者(ラッセル・プライス氏)も印象的で目を引く手術現場写真(脳に電極を埋め込む場面)が掲載されています。

なかなかショッキングな透視図でした。

しかしよくよく読み込むと(?)、ラッセル・プライス氏の話は本文には登場せず、マイク・ポルティック氏の例を補完するような位置取りで登場するため少々記載に難があるような…。

ラッセル・プライス氏は特集冒頭と中程に写真が掲載されるのみで本文での言及はなく、「脳深部刺激療法」を施した際にラッセル・プライス氏が感じた治癒効果のどれほどがプラセボ効果で、どれほどがプラセボ効果以外の効果かは医師でさえ分からないという例として挙げられています。

せっかく当特集のウェブサイト記事中でアイキャッチ画像として掲載されたのに、本文はカット…?

経頭蓋磁気刺激法

その他その他さまざまな非科学的に見える療法が紹介されたり、著者自身が伝統的治療法を体験してみたりというのが特集の読みどころの一つ。

また別の柱として、プラセボ効果の科学的解明に向けた取り組みの紹介があります。

その一つが、経頭蓋磁気刺激法と脳の断層画像を駆使した米スタンフォード大学の研究。

現代的な機器を用いた見える化でプラセボ効果の本体は見えるか?気になるところ。

このナショジオ、読んで損なし

繰り返しになりますが、プラセボ効果による現象の説明とスピリチュアルな原因(霊とか魂とか)による説明の間に、共通点ほどの相違点はありません

『ナショナル ジオグラフィック』のプラセボ効果特集においても、プラセボ効果という現象を軸にして聖地巡礼やシャーマン信仰、各地の伝統的治療師たちと並んで現代の臨床試験や各種科学機器を用いた脳神経科学研究への言及がなされています。

それを不思議の一言で片づけるもよし、この世界に対する理解を根底から覆す可能性を秘めた謎と捉えるもよし、はたまた科学的探求が間もなくすべてを解き明かすと考えるもよし、それぞれの立場から楽しむことができるでしょう。

ぜひご一読。

プラセボ効果特集を期待して購読してみたら、思いのほか「プーチン世代の若者」特集が面白かったりして…。