ハナクソの存在に気を取られ、鼻ほじりに集中するあまり、気付けば鼻血を出していた。
鼻いじりが鼻血へと至るその気配に感づきつつ、それでも何かに取りつかれたように何度も繰り返した子供時代も今は昔。
そういえば、鼻血を出していないのはいつ以来だろう…?
とお考えのオトナは多いかもしれません。
しかし、中には日常的に、頻繁に鼻から出血してしまう遺伝的素因を持つ人もいて、医学的な関心が向けられています。
遺伝性出血性末梢血管拡張症
そうした遺伝的素因の関係する鼻出血頻発病は「遺伝性出血性末梢血管拡張症」と症状由来の病名で呼ばれます。
また、恐らくは最初に疾患を鑑別した医師の名前から「オスラー病」とよばれることもあり、難病に指定されています。
日本では10,000人くらいの患者さんがいるとされていますが、その他の難病、遺伝病と同様に今のところはっきりとした統計は採られていないようです。
また英語では「Hereditary hemorrhagic telangiectasia」、頭文字をとって「HHT」と略されることが多いようです。
オスラー病(HHT)は全身血管の形成異常をきたし、中でも最も外出血を呈しやすい鼻腔粘膜の毛細血管から鼻出血することが多いため、対症療法的な鼻血対策が求められていました。
2016年9月公表の科学論文
さて、このオスラー病(HHT)に関して、2016年9月、アメリカの医学雑誌『JAMA』誌に臨床試験の結果が掲載されました。
「Hereditary Hemorrhagic Telangectasia(HHT)」がすなわち、オスラー病。また「Epistaxis」は鼻出血を意味しています。オスラー病患者さんの鼻出血に対する治療法の検討結果が2件、公表されました。
さて、ここで興味深いのはいずれも臨床試験の結果が「ネガティブ」であったこと。
すなわち、検討された療法においてプラセボ効果以上の効果が見られなかったということです。
各種鼻スプレー
新規医薬品、新規治療法に効果があることを示したい場合、その比較対象として、効果のない医薬品・療法を用いる場合があります。つまりはプラセボ(偽薬)を用いることとなるのですが、上記両試験ではプラセボとして「生理食塩水」が用いられました。
bevacizumab(ベバシズマブ)という血管新生阻害作用のある抗体医薬、estriol(エストリオール)という女性の膣炎治療剤、tranexamic acid(トラネキサム酸)というよく使われる止血剤が、それぞれ鼻噴霧用スプレーとして製剤化され、生理食塩水スプレーと効果が比較されます。
こうして並べてみれば既に出血治療に利用されている薬剤が選択され、「どれかは効果があるだろう」と思われるのですが、結果はそうではありませんでした。
ベバシズマブ、エストリオール、トラネキサム酸。いずれも、生理食塩水と同程度にしか鼻出血症状を抑えることができなかったのです。
プラセボ効果の医療応用に向けて
この論文発表を受けて、海外のWebメディアはこう報じました。
Simple saline solution could help alleviate chronic nosebleeds, study shows – News Medical
ここでは「単なる食塩水溶液が慢性的鼻出血の軽減を助けた、と研究が示す」と、各種療法が効かないことをネガティブに報じるのではなく、プラセボとしての生理食塩水が症状軽減に有用であることがポジティブに表現されています。
プラセボ効果の応用に向けては精力的に研究が進められているところであり、臨床試験結果の解釈がプラセボの効果・効用に好意的になる傾向も、ここ数年で多くなってきたように思われます。
ただ、むしろこの場合には鼻出血症状の増悪因子である乾燥そのものを、物理的に防ぐことが最も重要であったとも考えられます。プラセボ効果は付け足しにすぎないと。
また今回はサラサラと流れやすいスプレー剤が用いられましたが、ジェルやポリマーによって薬剤定着性を向上させるなどの製剤的改良によって医薬品の効果は統計学的に有意なものとして現れるかもしれないとも言われています。
しかしながら、研究に参加した多くの患者が症状の改善を示していることから、オスラー病(HHT)患者にとって朝夕の生理食塩水鼻スプレーで鼻腔を湿らせることは鼻出血予防に効果的であると、そうすべきだと確かに言えると研究者は述べています。
遺伝的素因を有するオスラー病(HHT)患者以外にも鼻出血が頻発する人はおり、そうした人に対しても生食スプレーが有効であるという科学的根拠はないけれど、試してみることは簡単にできるとも。
プラセボ療法の有用性
難病治療、特に遺伝病に関しては根治療法の開発が難しく、せいぜいQOLを維持・向上させる対症療法の開発にとどまります。今回紹介したオスラー病の例のように、対症療法さえ科学的根拠を示すことは難しいことがあります。
恐らくは今後も難病治療に関して「プラセボ効果以上の効果」を見出す研究の多くがとん挫することでしょう。
しかしここで発想を変えてみれば、プラセボ(偽薬)の有用性を積極的に応用する道がある事にも気づかれるのではないでしょうか。
主観的な疾患重症度の評価指標が改善したって意味がない?
そんなわけはない。医療の主な成果は、患者さんの主観に委ねられているはずです。
客観的に、鼻出血の頻度が減少した?
それならば、どうしてプラセボを使わないのだろう。
科学的根拠のある薬を使って症状を抑制すべきという発想は、今まさに揺らぎつつあります。