他人に嘘をつくには技術が必要だが、自分に嘘をつくには才能が必要だ
こんな言葉がアイデア・ノートに書き留められていました。どこかで誰かの言葉として読んだのか、はたまた自分で思いついて書いたのか。それが、分からないのです
元ネタをご存知の方がおられたら、情報提供願います。
嘘とプラセボ
さて、この言葉はプラセボ効果を考える上で重要な示唆を与えてくれます。
このような言い方はプラセボ販売事業者として問題があるかもしれませんが、嘘とプラセボはとても相性が良いのです。
両者には、真実と呼ばれているものを相対化する力があるからかもしれません。
しかし、嘘の評価は一般的には高くありません。
発想の転換が必要なようです。
逆に考えてみる
発想の転換をするお手軽な方法の一つに、「逆に考えてみる」というものがあります。
先ほどの言葉を逆に考えてみるとどうなるでしょうか?
他人を信じることは凡人にも可能だが、自分を信じることは天才にしかできない
信じるも信じぬもあなた次第ですが、このこともやはり重要な示唆を与えてくれるように思います。
自分を信じること
自分を信じること、あるいは自己暗示についてテクニカルな方法が示されることがあります。
- 目標を期限付きで書き記す
- 勝つ場面を明確に思い描く
水泳のマイケル・フェルプス選手だったと思いますが、レースの日の細かい動きからレース中の動作まで全てを予め頭の中で何度もビデオ再生の様に思い描き、レース当日はそれを再生するだけだと語っていました。
確かに、この世には天才が存在しているようです。
しかし多くの人にとって、あるいはその道のプロでさえ、練習通りに力を発揮することさえ簡単ではありません。自分たちのサッカーを信じきることも、実力が伴わなければできません。
またスポーツ以外でも、起業の準備段階で自分の思いつきやアイデアの正しさを信じきることができず、それが正しいことを証明したり保証したりしてくれる情報を求めてしまう場合があります。
実に、自分を信じることは簡単ではありません。
他人を信じること
自分を信じる才能に恵まれない人でも、いとも簡単に他人を信用してしまうことが往々にしてあります。
この場合、事実としては「他人なのに信じた」のではなく、「他人だから信じた」ということです。
他人を信じるのに才能は必要ありません。本能の赴くままに行動すれば良いだけなのです。
どういうことでしょうか?
アメリカの社会心理学者、ロバート・B・チャルディーニは自身の経験と社会学的研究の成果を『影響力の武器: なぜ、人は動かされるのか』にまとめています。
本書では、他人を信じさせ、行動を変える技術がセールスや宗教団体を題材として詳細に記述されています。
内容は本書を読んでいただくとして、一つの結論を引用しましょう。
我々ヒトは、他の動物と同じように、ある場面では反射的に決まった行動をとってしまうことがある。進化上そのことが有利に働いたから。
『影響力の武器: なぜ、人は動かされるのか』
他人を信じることは、ある場面では反射的に起こってしまうのです。
我々の思考回路は、その反射的行動を合理化するために後出しで理由を与え始めるため、あたかもその行動が合理的だったかのように思い込んでしまうようです。DNAレベルで。
プラセボが提供するもの
信じるに及びない「自分」という存在を、他人に近いものとして外部化し形を与える手段。それがプラセボかもしれないな、と思います。
もちろん、医師などの権威を纏った他人を通じてプラセボが与えられた方がいくぶんプラセボ効果が現れやすいようにも思います。
何かができるようになりたい時、それができるようになる前に、「自分にはそれができる」と信じなければなりません。
できるより先に、できると信じる。
自分を信じる才能がないのならば、自分の外にあるプラセボに想いを込め、それを信じるというステップを踏むと、反射的に信じ込んでしまえるかもしれません。
残念ながら当社が提供するプラセボは「プラセボ効果」を保証するものではありませんが、一定の理解の下、手段として使うことはアリだという風に思います。