偽薬はプラセボの象徴です!

しょう-ちょう【象徴】 シヤウ‥

  1. ある別のものを指示する目印・記号。
  2. 本来かかわりのない二つのもの(具体的なものと抽象的なもの)を何らかの類似性をもとに関連づける作用。例えば、白色が純潔を、黒色が悲しみを表すなど。シンボル。
『広辞苑 第六版』

偽薬とプラセボは別のものだ。そして偽薬はプラセボの象徴であって、象徴でしかない

現代科学がプラセボ(a placebo)と単なる偽薬(a sugar pill, an inert pill)を違うものと捉えようとしていることを知っておいて損はありません。

偽薬効果の未証明

偽薬そのものの効果を証明することは、「ドーナツの穴だけ残して食べる」のと大して変わらないほど難しいもの。

偽薬投与という儀式的な諸々の周辺事象による効果から“偽薬だけの効果”を取り出すことは、一休さんクラスの頓智マスターにとっても簡単ではありません。屏風の虎をおびき出すように言って義満公を感服させることは出来ても、現代の科学者を納得させることは出来ないのです。

それでもなぜ「薬効成分を含まないただの偽薬が、どうにかして効いてしまう。不っ思議!」として偽薬効果は一般に広く知られ、かつ受け容れられているのでしょうか?

象徴の作用、あるいはメタファーとして

ヒトは、納得を求める生き物です。目に見える結果・現象に対して、何らかのはっきりとした原因を見出して納得せずにはおれません。

それは、ある種の治癒現象にとっても同じこと。

例えば、ある新規医薬品の臨床試験(治験)において偽薬グループにも何らかの治癒効果が認められたとしたら、その原因はどこに求めるべきでしょうか?

偽薬投与という儀式によって何らかの治癒現象が見られた場合、実薬に含まれる薬効成分以外(図中の水色部分)によってその現象・効果がもたらされたと考えるしかありません。「薬効成分以外」にはもちろん偽薬を含みますが、偽薬だけではありません。

偽薬投与の際には被験者の薬に対する期待や、適切な治療や処置を受けているという安心感、医師との関係などなどの諸々がポジティブに作用します。

しかしながらそれらは目に見えるものではありませんし、手に取って矯めつ眇めつすることもできません。それらは原因として採り上げるに足るものですが、納得の材料としては不十分なものです。

したがって、納得を求めるヒトは原因としてはっきりしているように見える“偽薬”だけを本能的かつ象徴的に取り出し、“不思議”の包装紙に包んで取り敢えず納得してしまうことにしたようです。

「薬効成分を含まないただの偽薬が、どうにかして効いてしまう。不っ思議!」

偽薬はプラセボの象徴

プラセボとは何でしょうか?

それは、科学的に説明のできない治癒現象に関わる周辺事象の全てです。

「これだ!」と取り上げて見せることのできない、非特異的なものです。そもそもが捉えどころのないものですので、何らかの明示的な原因を見出すことはできません。

しかし言葉を操るヒトは、それを言葉の象徴作用によって自ら扱える範囲に限定して捉えようとします。その結果、「プラセボ=偽薬」という、一見正しそうで、一般にも広く知られた捉え方になったと考えられます。

偽薬が医薬品と同じように薬理学的に作用するものと考えていては、プラセボ効果についての理解を深めることはできません。「偽薬はプラセボ効果をもたらすもの(=プラセボ)の象徴であって、象徴でしかない」と捉え直すことから始めなければ、プラセボ効果の解明に近づくことすらできません。

プラセボ効果の解明というゴールがどこにあるのか、まだ世界中の誰も知りません。しかし、スタートは共有しています。

  • プラセボとは何か?
  • 何がプラセボか?

次の質問。

  • プラセボは誰に効くのか?
  • プラセボはなぜ効くのか?
  • プラセボはどのようにして効くのか?

最後の質問。

  • プラセボを医療や日常生活に応用するにはどうすればよいか?