死に往く者に「早く死んでほしい」と思ってしまう気持ちについて

ずいぶん前にネット上のニュースで、ゾウのなかよし姉妹の話が出ていました。ただ、情報ソースは発見できず…。

象の姉妹に起きたこと

十数年ものあいだ、同じ動物園の同じ動物舎で飼われていた仲の良い象の姉妹がいました。姉ゾウを慕う妹ゾウは、何をするにもお姉ちゃんと一緒です。

しかし、そんな仲良し姉妹に、ある日転機が訪れます。

何らかの病を得て、姉ゾウが衰弱してしまったのです。

長年姉ゾウの下に付き従うように生きてきた妹ゾウは、あろうことか弱った姉ゾウに攻撃を加え追い落としを謀ります…!

殺意の波動に目覚めた(?)妹ゾウの気持ちは誰にもわかりませんが、「仲良し」に見えていたその関係性は、姉が妹を支配する主従関係・上下関係にあったのかもしれません。

「ついに、私の天下がやってきたのよ!」

そんな風に思ったのかもしれません。

動物の死生観について

ヒト以外の動物は自らの気持ちや心持ちを言葉にしません。彼ら彼女らの行動から「気持ち」や「意志」のようなものを推測することはできますが、それは推測以外の何物でもありません。

Yahoo!知恵袋にあった「動物の仲間の死に対する感覚について質問です。 」という質問では、一緒に飼っていた仲良しネコたちの内、1匹の死期が近づいた際の対応が話題になっています。

死に往く仲間に対して攻撃的になる…どうして?

詳細はリンク先をご確認いただくとして、そこにはある種の本能があるのではないかと思わされます。もちろん、本当のところ猫たちが何を思っていたのか、あるいは何も“思って”なんていなかったのか、誰にもわかりません。

動物と死と本能と

姉妹ゾウの話も、この猫たちの話も、何かしら心動かされてしまうのは、それがショッキングだからでしょう。

普通に考えれば、死にゆく者を静かに看取る慈悲や慈愛や何かそのようなものがあって然るべきなのに、あえて殺そうとするだなんて…。

しかし、そうした普通の間隔は我々人間に、あるいは霊長類か類人猿に固有の特殊な気持ちのような気がします。

さらに言えば、ここで言う普通は、“(ヒトとして)こうあってほしい・こうあるべき”と思う理想の姿、形而上的なセルフ・イメージなのかもしれません。

自然界の普通は、「足手まとい」を切り捨てる無情な世界であるようです。

人は慈悲的存在か?

我々ヒトは一般の動物とは一線を画し、野蛮で無情でアニマリックな無慈悲さとは無縁の存在です。

…でも、本当に?

“(ヒトとして)こうあってほしい・こうあるべき”姿を自らに課す高潔な存在であるヒトも、動物的感情から逃れることは恐らく出来ません。

現代的な悩みの多くは、この動物としての感覚や感情が、現代社会にそぐわない為に発生しているとも言われています。

弱った身内や家族に対して「早く死んでほしい」、「はやくいなくなってほしい」と思ってしまうその気持ちも、本能的なものなのかもしれません。

『親を、どうする?』の子どもたち

『親を、どうする? 介護の心編』 (コンペイトウ書房)で描かれるいくつかの介護家族のお話の中に、母方の祖母(ババ)が病を得て寝たきりで入院してしまい、仕事、子育て、介護の三本立てにアタフタと手一杯となり、子どもたちの変化に戸惑う夫婦の話があります。

死期が近づくババの介護にお母さんが付っきりになり我慢を強いられたマイちゃん(娘)は、ある時、こんな風に思ってしまいます。

いつまでこんな毎日が 続くんだろう

ババが死なないと お母さんは戻ってこない

ババは いつになったら死ぬのかな

ババ 早く死ねばいいのに

自分のココロに去来した黒い考えにハッとしたマイちゃんは、悩み始めます。

この後の展開と、お母さんのナイスなフォローはすごく非常にとっても素敵ですので、気になる方は是非ご一読を。

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きっとそれは、自然な感情

ゾウやネコと同じように、死にゆく者に対して「早く死んでほしい」と思う心持ちは、自然なもの、本能的なもののように思われます。

それを無理に抑え込む必要も、もちろん無理にそう思う必要もありません。

ただ、大変な時期のふとした瞬間に「早く消えてほしい」という類の思いがふつふつと沸き起こるとしても、自分を責めるなよと、倫理観が失われたように見える自分に失望するなよと。

それは人にとっても自然な感情なのだから、と。

そんな風に思います。

倫理に縛られて感情を抑え込むより、自然なものとして受け止めてみることはプラセボ効果的な気休めにはなるのでははないか、と。

逆に…

2015年7月、お笑い芸人・又吉直樹さんの『火花』と共に芥川賞を受賞した羽田圭介さんの受賞作『スクラップ・アンド・ビルド』でも介護が題材となっています。

「早く死にたい」と日常的につぶやく被介護者(じいちゃん)と、その意向を汲み「早く死なせてあげよう」と奮闘する孫の物語には、「早く死んでほしい」という一方的な想いからフッと離れてみるきっかけを与えてくれるかもしれません。

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「早く死んで欲しい」人向けの教科書にもなる…かどうかはご一読の上、お確かめください。

空白の原則

閑話休題。

「早くしんでほしい」と思ってしまうこの気持ちについてさらに考察を深めてみれば、脳には「空白の原則」があると言われています。

ヒトの脳は「わからない」という状態を極端に嫌う(本能的に恐れる)傾向があるため、なんらかの不満感に対してその原因と解消策を無意識的に創造します。

ここで注意すべきは、この原因や解決策が既にそこにあるもの(既成事実)ではなく、脳内で新たに、即座に、しかも無意識的に創造されるものであるということです。

「論理」と呼ばれるものが十中八九「後付けの言い訳」であるのは、この空白の原則ゆえかもしれません。

自分は我慢を強いられ、不快な状況に置かれている。

そうした状況を認識すると、人間はほとんど無条件に、かつ自動的に解決策を脳内で創造します。

こうした状況は、身近な“あいつ”がいるためだ。

であれば、身近な“あいつ”さえいなくなればこの不快な状態は解消する。

もっとも短絡的で直接的な解を得る論理的能力が、進化上、うまく生き延びる術として発達してきました。「早く死んでほしい」もまた、その能力を活かして得た短絡的で、直接的で、なおかつ決定的な解といえるでしょう。

そうした思考の癖(本能)を否定することは不可能ですので、これを受け容れる以外に方法はありません。自然な感情で、誰もが持ちうる感情であると考え、時間を掛けて受け容れるように促すのが適切であると思われるのは、そうした進化論的な理由にも依っています。

高齢者介護がもたらす意識の変遷

人類史上未だかつてない高齢化社会を生きる我々にとって「介護」の経験はありふれた物になるのかもしれません。しかし、その経験がもたらす意識の変化やそこから生じ得るストレスについては、未経験者にとって文字通り未知の領域。

プラセボ製薬では、介護経験の有無がどうのような価値観の変化をもたらすかについて、アンケート調査を実施しました。

この結果から読み取れることは、介護経験は、介護者が抱く不穏な心理について寛容さを得る機会である、という事実です。