アニメ化、実写ドラマ化された安野モヨコさんの漫画『働きマン』の第3巻、Vol.23“オヤジマン”にサプリメントの大量摂取に関する面白い描写が出てきます。
カプセル剤、錠剤、丸剤など総計10数個のサプリを「はむっ」と一口に丸呑みし、水で飲み下して一言。
どれが効いてるか
わからんが
どれかは効く
それでいい
本記事は、サプリや健康食品を「大量摂取したい!」という欲望を抑えきれない方向けに書いており、大量摂取や過剰摂取を一般的に推奨するものではありません。食生活は、主食、主菜、副菜を基本に、食事のバランスを。
サプリーボ
上記は次期総裁最有力候補とされる衆議院議員、丹波満夫(67)の言動です。彼の趣味は、「健康」。
どちらかと言えば健康に不安がありつつ、自らの使命と考える仕事を全うせんがため健康に執着しているように見えます。
栄養補助食品の価値
- 栄養補助食品
- サプリメント
- 健康食品
呼び方は様々ありますが、医薬品のようで薬とは異なるそれら食品は偏った食生活などで不足しがちなビタミンやミネラルや微量元素、酵素などの栄養素をサプリ、すなわち補うことを主目的としていました。
大航海時代の船乗りがビタミンC不足で壊血病を引き起こし、日露戦争当時の日本兵の多くは敵の攻撃よりむしろビタミンB不足を原因として倒れたように、栄養素の不足は生命を脅かす可能性を秘めています。
ただ現代においてこうした栄養素不足が引き起こす病気はまれであり、そうした意味では栄養補助食品の価値は既に変化しているはず。
より健康に。
補給系よりむしろ、強化系のサプリメントが好まれる価値観の変化があります。
効果を求めて
飲みさえすれば「より健康に」なるとされる強化系の(あるいは、加齢と共に失われる健康成分を補うとされる補給系の)健康食品は、いずれも判を押したように効果を謳います。
科学的な裏付けがありこれだけ凄い、だから効果がある。
薬事法を考慮したスレスレ系の効果請け負いが浸透した結果、健康食品の市場規模は数千億円にまで伸長しましたが参加者の数は限られています。
同一のサプリを大量に摂取する人。(どの市場においてもそうかもしれませんが…)ハイドーズ、それを超えるメガドーズを日常的に実施する一部のプレイヤーが市場を牽引しているはず。
「より健康に」なるはずのものを一度飲み始めたが最後、大量に飲み始めたが最後、それをやめることは健康を手放すこととなるため心理的な抵抗感が生まれてしまうためです。
科学を手放すとき
数多の健康食品、サプリメントが謳う科学的な裏付け(エビデンス)を信じた結果、健康が得られたのならば大量・過剰摂取が生まれる可能性は小さくなるはず。
一定量で明らかに効くと実感できれば、それ以上摂取する動機は消えてなくなるからです。
ではなぜ過剰摂取が問題になる場合があるのでしょうか?
それは、「健康」という大きな枠組みを科学は捉えきれていないためです。「エビデンス」とのたまう科学的な裏付けは「健康」を約束してはいません。
どちらかと言えば、科学に対するぼんやりとした信用を販売やマーケティングに利用しているに過ぎないのです。
プラセボ効果を期待して
プラセボ効果もまた、科学が捉えきれない事象の一つですが、こちらはあまりセールスに活かされることがありません。
どちらかと言えば敵視され、「我、プラセボ効果に非ず」を高らかに謳い上げることが売り上げを向上させる秘訣となっています。
まぁでも、科学に寄りかかったところで健康になれやしないのなら、(架空の)衆議院議員・丹波氏のごとく非科学に身を寄せてみるのも一つの手ではないでしょうか?
サプリメントのプラセボ効果、略して「サプリーボ効果」に期待して…。
非科学を摂り入れる
人類の進歩の歴史は、神的なものや霊的なものにまつわる壮大な物語を科学によって打ち崩すことで大きく展開したと考えることができます。そのことは我々に「科学に対するぼんやりとした信用」と、進歩の先にある完全なる健康の達成の予感を与えてくれます。
しかし、世界には科学では語り得ぬ部分が厳然と居座っています。あなたの健康もまた、科学では語り得ない場所に置かれています。
科学の否定
科学の営みは、一の原因から一の結果を生み出す物語を拡大することを目的としています。実際には、一つの結果から一つの原因を逆方向へ推定・導出することによって世界を理解しようと試みています。
複数の原因が生み出す複雑な現象を捉えることを、科学は苦手としているのです。
苦手だから、やりたくないから、単純な因果関係という得意なフィールドで世界を理解すべきだとけしかけます。科学とは「1+1=2」の価値観を世界中に広める事業と言ってもいいでしょう。
でも我々が住むこの世界を実直に見つめてみれば、さまざまな複雑性に取り巻かれています。というか、我々そのものが複雑な何かとして存在しています。
「健康」を科学が捉え切れない理由もここにあります。
健康に対してサプリができること
複雑な存在に対して、単純な手法で当たることには限界があります。目には目を、歯には歯を。複雑性には複雑性を。
どれが効いてるか
わからんが
どれかは効く
それでいい
丹波氏が試みる複雑性の導入と単一の原因を求めない試みが、健康に対してサプリメントや健康食品ができること(というものが存在すれば…)のヒントになるはず。
一つの商品をいっぱい大量に飲むよりは、複数の商品をたくさん飲んだ方が良いように思われます。
※一般販売されているサプリメントに含まれる成分でも大量摂取により副作用、中毒症状、健康障害が現れる場合がありますので、成分の重複を避けるようご配慮ください。
あえて因果関係を追求しない神秘主義を採り入れてみること。科学に対する信用から、神秘的な何かへの信頼へと転向すること。プラセボ効果的に言っても、部分的な科学の否定には得るものがあるように思われます。
プラセボもまた有用?
プラセボとは、偽薬のことです。偽薬といっても怪しいものではなく、ただ有効成分なるものを一切含んでいないと言うだけです。
数字で言えば、「0(ゼロ)」にあたると言えるでしょう。
とお悩みの方にとっては、ゼロを足すことにある種の有用性があるとも考えられます。どうしても過剰に摂取してしまうなら、単一商品ではなく複数の商品を。複数飲むなら、一つくらい無意味なものを。
科学が押し拡げる「1+1=2」の世界観に、敢えての「0」をプラスしてみること。
プラセボ製薬の『プラセプラス』は、そうした非科学的な期待に応えることができるかもしれない本物の偽薬です。
しばらく飲んでみて「0」を大量に採り入れる生活がアホらしくなったらやめてしまえばいいのです。あれもこれも、どれもそれも。