行きつけの居酒屋、焚きつけのお風呂、浅づけのキュウリ、呑み代はつけの支払い、つけまつげ、…各種ある「つけ」に新たな仲間が加わりました。
かかりつけ薬局
何か事があれば真っ先に相談・連絡する身近なお医者さんたる「かかりつけ医」が昔から認知されているのに対し、この「かかりつけ薬局」は古くて新しい制度として今後広まっていきそうです。
かかりつけ薬局とは?
平成27年(2015年)、厚生労働省が推進する医薬行政の柱として「かかりつけ薬局」がクローズアップされ始めました。
その目的はこちら。
- 残薬(処方されたにもかかわらず、患者が飲まなかった医薬品)を減らすこと
- 患者ごとの薬歴をしっかりと管理して健康寿命を伸長すること
- 薬剤管理の適正化により医療費を削減すること
こうした制度を広めるために厚労省は『「かかりつけ薬局」の報酬を加算する』抜本的な報酬制度の見直しをするそうです。(厚労相 かかりつけ薬局で過剰投薬防止へ 5月22日NHKニュース)
かつて、というか今でも「お薬手帳」なるものが存在し、これを患者自身が携帯すれば「かかりつけ」でなくとも、どこの薬局に行っても適切に薬の管理が可能であるとされていました。
しかし、お薬手帳を一人で何冊も持っていたりなど、適切な管理ができなかったので、今回は「かかりつけ薬局」という場で縛ろうという訳です。
また「門前薬局」と呼ばれる、病院毎に併設された別々の薬局に行ってしまいがちな、そこに行かなければならないと思い込みがちな状況を変えたいとしています。
厚労省担当者の言葉をかりて「かかりつけ薬局」制度の意義・目的を端的に言い表すなら、
昔の薬局に戻れ
厚労省・中井薬剤管理官「かかりつけ薬局しか生き残れない」 医薬分業メリット示すエビデンス構築求める|ミクスOnline
ということになるでしょう。
もっと踏み込み「卒薬」を目指しませんか?
年間500億円程度と言われる残薬、過剰な投薬による医療費の無駄の削減、それも良いでしょう。
服用する薬の履歴管理を行い、薬歴管理に基づく医薬品情報の適切な提供、それもまた専門職たる薬剤師にとって必要な仕事でしょう。
在宅チーム医療を推進する上で薬剤師が活躍する機会を増やす、超高齢化しつつある日本とってその重要性は弥が上にも高まるでしょう。
しかし。
かかりつけ薬局や、かかりつけ薬剤師が本当に目指すべきは、「医薬品を使用することなく健康が保たれる生活を提案すること」、すなわち「医薬品使用ゼロを目指すこと」にあるのではないでしょうか?
卒薬。医薬品の服用を卒業し、医薬品なしで生活を送ること。
専門家の使命は、どこかで自己否定を伴うものです。医薬品の専門家たる薬剤師の、薬が溢れた現代社会における存在意義は「医薬品を正しく服用させるよう指導すること」ではなく、「医薬品のない生活を提案すること」。
プラセボ製薬では、そんな風に考えています。
健康情報の発信基地として
2015年の春ごろから、いくつかの週間誌上でこれまでの医学の定説を覆す・覆そうとする記事が連載されました。
週刊ポスト:糖尿病
『高齢者の糖尿病治療薬の使用に要注意 昏睡状態に陥ることも|NEWSポストセブン』などの記事において、現代のマッチポンプ的糖尿病治療が批判されています。
曰く。
日本の糖尿病治療は『カロリー制限食』の名のもとに炭水化物(糖分)を摂取させ、上昇した血糖値を無理やり薬で下げようとしている
世界の潮流では、そもそも血糖値をあげないようにする『糖質制限食』が薦められている
「医薬品のない生活を提案すること」を目的とするならば、ここから一つの提案ができそうです。
週刊現代:高脂血症など
『2015年05月25日(月) 週刊現代 「コレステロール値」の嘘 第1部 理事長を直撃! 「食事制限」はまったく無意味だった|現代ビジネス』などの記事においては、これまでのコレステロール制限に関する批判がなされています。
曰く。
コレステロール摂取量が増えれば血中コレステロールが増えるという根拠は無い(=コレステロールを制限しても血中コレステロール値は下がらない)
そもそも血中コレステロールを一定の値以下に調節すると健康寿命が延びると言う根拠もない。
ここからもまた、「医薬品のない生活を提案すること」を目的とするならば一つの提案ができそうです。
ちなみに。コレステロール基準値は厚生労働省が5年ごとに発表している「日本人の食事摂取基準」において、2010年版では「コレステロール」の項目が表記されています。目標量は男女ごとの「上限値」で示され、要するに「摂り過ぎるなよ」と基準が指定されていたわけです。
しかしながら、2015年版には「コレステロール」の項目がありません。
食事で摂取するコレステロール量と血中コレステロールの数値に関係がない、という世界的なコンセンサスに乗っかった形になっています。
かかりつけ薬局を健康情報発信基地として
○○臨床医学会などから(恐らく)締め付けを受けることのない街場の薬局ならば、上記のような各種学会にとってある種「不都合な真実」を自信を持って提示することができるのではないでしょうか?
ある日、ある町の「認知症フォーラム」
とある認知症フォーラムにて、薬剤師が講演を行いました。
認知症かも?と思ったら、早めに医療機関に相談してください。認知症に効くいくつかのお薬があります。症状の進行を緩やかにするので、是非飲みましょう
でも、注意してください。一旦飲み始めた場合、薬をやめると急激に認知機能が低下する場合があります。
この薬剤師は、早め早めの受診と予防的な服薬によって一生薬を飲み続ける生活を提案しています。
かかりつけ薬局が「医薬品のない生活を提案すること」を目的とするならば、製薬企業を利するこうした一生モノの薬漬け生活を提案するよりも、認知症の患者が認知症のままで生活できる策を真剣に考えるべきでしょう。
医薬品の専門家たる薬剤師が、医薬品に頼ることのない生活を提案する。
なんだかカッコいいと思いませんか?
ゼロを目標とすることの意義
患者さんが持ってこられた処方箋に従って薬を提供する以上のサービスとして、卒薬を提案すること。
「もうお薬は要らないよ」と自信を持って告げること。あるいは、かかりつけの医師に提案すること。
“処方ゼロ&服薬ゼロ”という、自己否定を伴う目標を掲げること。
かかりつけ薬局が意義ある存在となるためには、そうしたちょっと過激な目標を持っても良いのではないかと思います。
プラセボの利用について
「医薬品の使用を極力少なくする、ゼロを目指す」という目標は、「医薬品の使用が少なければ少ないほど“良い”」という価値観(良い悪いの判断基準)に沿っています。
これは、プラセボ製薬が提示する独自の(ともすれば極端な)価値観の提示です。
“処方ゼロ&服薬ゼロ”を達成するために、プラセボ(偽薬)の利用が不可欠と考える手前味噌な理由があります。
「医薬品の使用が少なければ少ないほど“良い”」という価値観の提示と、共感を募ること。
それしかできませんが、それをすべきだと信じるためです。
最終的な判断はいつだって「あなた」に委ねられています。「あなた」の判断基準(価値観)とじっくり見比べてみて頂ければ嬉しく思います。