プラセボ(偽薬)で医療費を低減できるのでしょうか。
そもそも、医療費って抑えなければいけないもの?
厚生労働省のWebサイトでトップに掲げられている『なぜ今、改革が必要なの?|厚生労働省』をご参照の上、内容をしっかりと理解できれば医療費を含む社会保障費は抑えるべきであるという結論になるのではないかと思います。
しかし、とっても分かりにくいですね。
まずは国の借金について考えてみよう
まずは上記リンク先の最下段、「歳入・歳出構造の変化」について考えてみましょう。
歳入・歳出構造の変化
2014年8月8日付の日本経済新聞の記事ではこのように報道されています。
財務省は8日、国債や借入金、政府短期証券をあわせた「国の借金」の残高が6月末時点で1039兆4132億円となり、過去最大を更新したと発表した。国の借金は昨年6月末に1000兆円を超え、推計では借金の総額は14年度末には1143兆円に到達する。
今年7月1日時点の総務省の人口推計(1億2710万人)をもとに単純計算すると、国民1人当たりの借金は約818万円。3月末から約12万円増えた。
『国の借金最大、6月末1039兆円に』
こうしたニュースに関する、よく見られる反応は次のようなもの。
- 「国の借金」って何なの?
- 国が勝手に借金してるのに、国民の頭数で割っちゃって何の意味があるの?意味不明なんだけど。
- 国が国民から借金してるだけって聞いたけど、だったらあんまり心配しなくても良くね?ってか、俺らから借金してんなら早く返せっての。
こうした疑問を解消するため、まずは借金の構造を単純化してまとめてみましょう。
お金を貸す人 | 国債の買い手(国内外の機関投資家、個人投資家など) |
お金を借りる人 | 日本国(政府) |
お金を使う人 | 日本国(政府) |
お金を使われる人 | 納税者(間接的に将来世代を含む) |
お金を返す人 | 納税者(直接的に将来世代を含む) |
お金を貸す人
「国が国民から借金してる」というのは、国民が国債を購入して直接お金を貸している場合に加え、銀行などに預金があったり、年金機構や保険会社に積立金がある場合に、それらの機関が国債を購入しているので間接的に国民がお金を貸していることを示しています。
しかし、「国が全国民から借金している」というのではありません。
「国が、既に資産を有している国民から借金している」のです。
未だ資産と呼べるほどの財産を持たない人(例えば、若者など)はお金を貸す側には立っていません。
お金を借りる人、使う人、使われる人
日本国政府は日本国民の代表として、何にいくらお金を使うか決めています。政府は国民の幸福を最大化するため、優秀な頭脳と先生方の要望と前例に従いお金の使い道を先に決めてしまうのです。
そこから、国の収入たる税収を上回る分に関して借金で賄おうとします。
全ては、国民の幸福のために。
上に(間接的に将来世代を含む)と書いたのは、例えば立派な道路を国のお金で作った場合、今現在生きている国民の便宜に適うだけでなく、将来の国民が成長して車に乗り始めた場合など、将来世代も恩恵に与ることになるからです。
とは言え、将来世代には投票権も発言権もありませんので不公平と言えば、不公平な気がします。
お金を返す人
先ほど「単純計算で、国民1人当たりの借金は約818万円」とありましたが、これはどういうことでしょうか?
国の借金は、国が返します。しかしながら、国の主な収入源は(企業等の法人を含む)国民から徴収する税金です。
したがって、国の借金は結局のところ納税者たる国民が返すことになります。
これは、「いざとなれば日本国は日本国民から一人頭818万円を徴収し、きっかり耳をそろえて貸したお金を返してくれる。」と国にお金を貸している人たち(国債の買い手)が信じているということに他なりません。
ただし、818万円と言う数字は現時点での国民一人当たりのお話です。借金総額(分子)は増え続けるのに人口減少社会で分母は減るため、一人当たりの金額はより大きなものとなってしまうでしょう。
それでも信用するか?あるいは、どこまで信用できるか?
誰にもわかりません。
借金の使い道について
借金をするのは、国民の幸福のため。
こうした曖昧な目的を具現化するのが政府のお仕事です。
国民は一様な人間集団ではなく、多様な価値観や属性を有する多様な人間の集まりです。
高齢化がもたらすもの
厚労省のサイトが真っ先に示すのは、人口ピラミッドの変化です。
日本の人工ピラミッドの変化が示すのは、国民という集団の構成を年齢という観点から見たとき、総人口に対する高齢者の割合が増加することです。
そして、高齢者は若年者よりも医療費がかかる傾向にあり、高齢化は医療費総額の高騰を招く主因となっています。
医療費を賄うための借金
医療給付の増加に伴い、医療費負担も増加します。
国民皆保険制度を有する日本において、医療費負担は医療保険料・健康保険料として徴収されています。
サラリーマンの給与明細には、毎月相当額の保険料控除額が記載されているでしょう。
しかし、現役世代からの保険料徴収だけでは間に合わないほどに、医療給付額は高騰しています。これを給与からの天引きで賄えば、給与所得者の生活が成り立ちません。
こうした状況を回避するため、日本国政府は毎年のごとく借金を重ね、医療給付の不足額を補填し続けています。
借金の一部は、国民の幸福のため、高齢者の医療費に費消されているわけです。
借金返済とは?
「国は国民に借金を返済せよ」と主張することは、「いくらでも国民から税金を徴収し、借金を清算せよ。もう医療費のために借金するな。」と主張することと同義です。
上の表に挙げた利害関係者全員で、政府の関与がなくなるよう、資産と負債のバランスを変更することになります。
多くの国民は、資産(貸出)よりも負債(借入)が大きいのではないでしょうか。しかし、こうした状況を政府は明らかにしませんので、それを認識できていないように思われます。
問題の核心
問題の核心は何処にあるのでしょうか。
人口増加、経済成長という前提の崩壊
今まで上手くいっていた制度が上手くいかなくなってしまうのは、制度設計の前提が時代の流れと共に変化してしまったからです。
現代の日本においては、取りも直さず人口減少を伴う少子高齢化が制度設計の前提を根底から覆すほど大きな問題になっています。
また持続的な経済成長だって、もう誰も信じることはできないでしょう。ゼロ成長あるいはマイナス成長は社会制度そのものを崩壊させるに足るインパクトを持っています。
これら持続的な人口増加と経済成長は、これまでの社会制度設計においては前提とされていました。今だって、年金制度の将来推計においては前提とされています。
これらを前提としなければどのような制度も立ち行かなくなってしまうにもかかわらず、前提が崩れた際の社会制度については誰もそのアウトラインを描くことができません。
現状を維持しつつ、ある特定の分野では状況を改善させるというウルトラCな解決は不可能でしょう。いつかどこかで誰かが割を食わされるか、そうでなければ割を食う必要があります。
制度の持続可能性がない
また上記の前提で構築された年金・医療・福祉などの社会保障制度は、やはり持続可能ではありません。
収入が十分であれば豪勢に使おうが節制しようが構わないのですが、借金で借金を返しつつ今の生活レベルを維持するのは現実的ではありません。
いつかお金を借りられなくなる日が来ることは目に見えています。
世代間格差の拡大
さらに、世代間格差の拡大が挙げられます。
- お金を貸す人(これまでにお金を得た人々)
- お金を借りて使う人・使われる人(今日を生きる人々)
- 借金を返す人(明日を生きる人々)
これらの集団の属性がそれぞれ違っており、特に世代という大きな区切りで見れば、高齢世代がお金の貸し手であり、使い手であり、使われ先でもあるにも関わらず、お金の借り手は全世代、さらに将来世代も含むいびつな構成です。
お金の借り手は、いつか借金を返さなければなりません。借金を返すのは、今日を、そして明日を生きる人々です。
現時点でも既に急速な勢いで将来世代への負担の先送りがなされているにもかかわらず、多くの人にとってこうした状況の理解が困難となり「まぁ、今日が良ければそれでいいよね」と先送りが常態化しています。
解決策を検討する
さて、これらの問題に対してどのような解決策が提示できるでしょうか?
また、問題意識を持つ個人ができることはあるのでしょうか?
人口維持で解決?
今日の日本の社会保障制度(年金・医療・福祉制度)は、とりあえず現状を維持するために汲々としながら、ものすごい勢いで、それも加速しながら、将来世代へ負担を先送りするという構造になっています。
これから生まれてくる子供たちに対して、『次代の社会を担う児童の健やかな成長に資する(by 厚生労働省)』と称したささやかな手当を支給するとともに、健やかに成長した後は国の借金返済のための徴税にはいくらでも応じてね!と返済誓約書に無理やり拇印を押させるようなことをしています(※実際にはそのような誓約書はありません)。
もちろん政府が将来のことを何も考えていないわけではなく、一人当たりの借金額を抑えるため借金総額を小さくすることを試みたり、人口を維持する策を講じようとしています(2014年5月13日付 日本経済新聞『50年後も人口1億人目標 政府有識者委』)。
しかし、問題は山積し、決定打とはなりそうもありません。若年者の人口を増やすには、若年者の人口と若年者の収入が必要だからです。
年金・医療・福祉、それぞれの解決策
年金に関しては、その制度設計を変える必要があります。例えば賦課方式を積立方式に変える、と言ったように。
また福祉に関しては、安楽死制度の導入などを検討すべきでしょう。
医療に関しては、善き制度設計と善き制度運用といったマクロの解決策の他に、個人レベルで行えることがあるはずです。
それは「健やかな健康観の構築」です。
健康観を自覚して
「近年、国民の健康意識の高まりにより…云々」と言われることがありますが、裏を返せば「健康意識の高まり」とは「健康不安の高まり」なのではないかと言う気がします。
「いつだって健康になるための何かを意識的にしていなければ、不健康になってしまう!」などなど。
その原因は様々でしょうが、一つには、自分の健康管理すら医療に依存しなければならないという思い込みにあるのかもしれません。
ちょっと気になることがあれば、あるいは気になる情報を与えられて病院へ行き、薬をもらって飲んでれば安心!という態度は、健康を医療に頼って維持するものと考えてしまっているように思われます。
だれもがこのように考えていては、医療費など抑えられるはずがありません。
自分の健康に責任を持つ
生き物の身体には、外部から何も手を加えなくたって自ら傷を癒す自己治癒力があります。
また、加齢に伴う変化だって、新たな状況に対処するためにとられた身体の反応でしょう。決して忌むべきものではありませんし、ヒトには生物としての限界だって厳然と存在していることを認めなければなりません。
健康を維持するために必要なのは、良き医療や健康法を見つけてそれを実践することではありません。
あなた自身の身体が本来持つ自然な力を信じ、自分自身の健康は自分で責任を取るという態度です。
医療費の抑制は、現代日本における必須の課題です。
「将来世代へ負担を先送りしてでも、これまで通り医療に頼り続けたい!」と思われるなら別です(もちろん、そのように考えても良いわけです)が、もし問題意識を共有されるなら、一度「健やかな健康観」すなわち、「医療に頼ることなく健康を管理し、その結果に責任を持つ態度」について考えてみてください。
もしかするとそこには、プラセボ効果が担うべき役割があるのではないかと当社では考えています。
「財政破綻」&「医療崩壊」という奥の手もあったりして
財政破綻。
医療崩壊。
これらの言葉には、何やら不吉で良からぬ響きがあります。
しかし我々は、これらに遭遇した貴重な例から何ごとかを学ぶことができます。
夕張市の財政破綻&医療崩壊。その後…
『病院がないほうが死亡率が下がる! 夕張市のドクターが説く、”医療崩壊”のススメ|ログミー』では、医療崩壊に直面した町とそこで働く医者、患者の驚くべき現況が報告されています。
財政破綻や医療崩壊は、その言葉自体が持つ負のイメージから絶対に避けるべきものと考えられています。
これらの負のイメージは、未来の状況を描くことができないという不安に依っているのではないでしょうか?
いつ、どんな状況で、どれほどの規模でやってくるかわからないからこそ、遠ざけて見ないふりをしてしまう。もしかすると、自分が生きている間には起こらないかもしれないな…。
もちろん将来のことは誰にもわかりませんが、現状の社会保障制度が維持できないものである以上、かなりの確度でやってくる日本の未来の形を夕張市が先取りしていると考えることはできるでしょう。
いつかやってくる(かもしれない)医療に頼れない状況を見据え、医療に頼らない状況を自ら作り出すことは今からだって早過ぎることはないと思います。
医療崩壊という医療に頼れない状況だって、考えられているより悪くないものかもしれませんけれど。
不可避の現実に打ちのめされるより、あり得る状況に備えて自ら対策を立てるというその心掛けがさらに健康観を増進させることになるかもしれません。
あり得る解決策
将来世代に負担を先送りするくらいなら、今、この場で清算してしまおう。
借金返済が無理なら無理で積極的に財政破綻し、医療を崩壊させ、できることはできる、お金がなくてできないことはやらない生活を始めるという選択肢だってあります。
割を食わされるのではなく、能動的に割を食うという解決策です。
この自ら働きかける積極的な能動性が、より一層充実した健康観を育むことになるかもしれません。
いずれにせよ、偽薬やプラセボ効果が医療において何らかの役割を担えるならば、当社ではそれを積極的に推進していきたいと考えています。
世代間格差を拡大させる医療費の現状や解決策について、あなたならどのように考えますか?