2014年10月8日夜の月食はご覧になられましたでしょうか?(写真は別の時に撮影されたもの)
月食観察中、地球と月と太陽の位置関係を頭に思い浮かべてみるものの、目の前で起こっている現象を上手く思い描けず悶々としてしまったなんて話も。
月が地球の周りをまわっていて、地球が太陽の周りをまわっていて、地球は自転もしている。だから東に昇った満月が南へ移動しながら地球の影に入っていき、影ができるのは月の反対側に太陽があるからで…とか考えているとこんがらがってしまいます。宇宙規模での立体透視は実に難しい。
この難しさは、月食という単純な現象の規模と観察者たる自分の小ささに起因している気がしてなりません。観察するワタシという圧倒的臨場感は、月食という宇宙規模の蔭り現象を直感的に理解することを阻みます。
古来、月食が不吉なものとみなされてきたのも、月食という現象の分からなさが原因であることは間違いないでしょう。
月食を理解すること
地動説が天動説に取って代わった16世紀ごろ以来、星の運行に関する知見は精緻を極め、月食という極めて単純な現象に関しては正確な予測が可能となっています。
国立天文台のWebサイトでは、その詳細が記されています。
精緻な予測
食の始め~終わりまでの正確なタイム・スケジュール。月が見られる位置。実際に観測してみないとわからないのは、月食時の月の色だけ。
また別の情報として、次の全国的な皆既月食は2015年4月4日であることも既に分かっています。
この圧倒的な“月食のこと、わかってるぅ!”感は何に起因しているのでしょうか?
それは、事前予測の正確性です。
時間と位置の正確な予測および色に関する予測不可能性を含んだ予測。
これだけ正確に予測できるのなら、実際には多体問題なので厳密解は得られないにせよ,月食のことを完全に理解しているといっても過言ではないでしょう。
プラセボ効果を理解すること
同じことは、プラセボ効果についても言えるのでしょうか?
プラセボ効果を事前に予測する取り組みは、実際に進められようとしています。
プラセボ効果予測という研究目標
プラセボ効果を事前に正確に予測できれば、プラセボ効果のことを理解できたことにする。
つまり、「プラセボ効果を理解する」とはプラセボ効果を事前に正確に予測することであると定義してみる。
これは非常に魅力的な考え方です。プラセボ効果研究のゴールが定まるからです。
複雑系は予測を拒む
しかし複雑性の科学やカオス理論は、我々が住む現実世界が予測不可能性に満ちていることを教えてくれています。
現在のプラセボ効果研究が現象の観察とその記述および仮説の提示に留まり、“エウレカ(わかった)!”と叫びだすことができないのは、この予測不可能性に絡め捕られているからかもしれません。
もしそうだとすれば、月食のようにプラセボ効果を理解することは不可能でしょう。
いつ、どこで、なにが、だれに、なぜ、どのように、のいずれも正確に予測できない。これでは、“わかってるぅ!”感を装うことさえ難しいのです。
単純な月食を見つめる、複雑な私
ヒトは分かったふりをするのが大好きです。分からないものは本能的に怖いと思ってしまうから。
現代人が月食を怖がらないのは、それが完全に分かってしまった気がするからでしょう。
神秘、畏れ
いつどこで起こるか事前に正確に分かってしまった月食には神秘性がありません。
月食の観察は、広く報道された予測の正しさを確認する作業になってしまいました。
国立天文台のキャンペーンが「皆既食中の色に着目しよう!」と予測不可能部を前面に謳っているのは、つまらない作業を探究心伴う観察にしようとする関係者たちとっておきの手段です。その効果や如何に。
科学の発展は、不思議を不思議として受け容れることを難しくしてゆきます。
月食を見つめながら、プラセボ効果がその牙城を守り抜くことを、あるいは望んでいるのかもしれません。