認知症について夫婦や家族で話し合うきっかけに偽薬を

かつて日本では、癌(がん)が死病として恐れられていた時代がありました。

がん発見の報告はまず家族に向けて行われ、本人に告知するか否かは慎重に検討され、多くの場合には事実は伏せられていました。

がん告知時代の到来

しかし時代は下り、死病であることにほとんど変わりはないとはいえ、本人に告知することが一般的に、ある場合には積極的に行われるようになります。

患者主体の医療

がんだと分かった時点で、その後の身の振り方、治療方針を本人を含めて考える必要があるためです。

さらに言えば、がんだと分かる前から夫婦間、家族間などで治療方針の話し合いがもたれることも少なくありません。

「積極的な延命措置は不要である」

そんな風な取り決めが家族間で為されていれば、本人に意思決定が出来なくなってからの家族の悩みは少なからず小さくなるのではないでしょうか。

誰にも認知症の可能性

『認知症介護が楽になる本 介護職と家族が見つけた関わり方のコツ 』(介護ライブラリー)の著者である多賀さんも、ガンになった際の対応を予め夫婦で話し合っておられたそうです。

しかし、年月が経過し、齢を重ね、やってきたのは若年性のアルツハイマー型認知症。

認知症告知の難しさ

痴呆症状が日増しに重くなる配偶者に対して、本人が求める対応を問うのは難しくなってゆきます。

  • 人生観
  • 死生観

こうした価値観について本人に決定を委ねられない時、周囲の家族にとっては介護負担に加えて何かを決定することが大きなストレスとしてのしかかってきます。

本人のためと信じてとった決定や対応が、本人にとっては不快な状況を招くことも。

認知症に関しては実際になってみないとどうなるかが分からないとはいえ、一度くらい「認知症になった時」のことを話し合ってみるのも悪くないように思います。

「病院に行ってみない?」の気兼ねを小さく

認知症の初期段階では、周囲の者に加えて本人にも違和感・病感があるようです。しかし、病気のせいもあって自分が認知症だと認めることも難しくなります。

病識はあれど

最近ちょっと物忘れがあるようだから、病院へ行ってみない?

そんな風に誘い込んでも、病気を認めたくない本人には断られてしまうかもしれません。多くの介護経験者がそうした過去の経緯を報告しています。

誰も自分が病気であることを宣告されたいとは思いません。特に、治る見込みのない病気であることを宣告されたいとは思わないので、当然と言えば当然でしょう。

ルールの重要さ

しかし、病気になる前から身近な人の間でこんな風な取り決めをしていたらどうでしょうか?

もし今後認知症の疑いが出てくるようなら、家族のストレス軽減を優先して、たとえ本人が嫌がったとしても病院で診てもらうことにしよう

そうしたちょっとした取り決め、話し合いを持ったことがあるか否かで対応のスムーズさは変わってくるように思います。

病名告知について

認知症となった本人に病名を告知する場合、初期の状態であれば、自らの病感と合致したその病名の意味を把握できるようです。

また診断の方法それ自体が認知症であるか否かを検討するテストである場合が多いため、告知をせず、本人には病名を伏せるということ自体意味をなさなくなります。

ただし、「病名を告知して本人の理解を促すべきか否か」は、実際に診断を受けた後よりもずっと以前、認知症状の無い状態で話し合っておくのが無難なように思われます。

  • 病名のつかない曖昧であやふやな状態は、家族にとって大きなストレスの原因になり得ること
  • 本人が自らの病気を受け容れない頑なさは、時に周囲を傷つけうること

知っているだけ、あるいは事前にちょっと話し合っているだけで、当の「その時」の備えにつながるためです。

成年後見制度について

もちろん病気そのものや治療方針、介護方針ついての話し合い以外にも、人ひとりが生きる上で決めなければならない物事は無数にあります。

自分では合理的な決定が難しくなったとき、どうするか?

現在、「成年後見制度」なる公的な制度が存在しています。

ここではその詳細を説明することは出来ませんが、夫婦間あるいは家族間で話し合いや会議がもたれるとしたら、是非とも「成年後見制度」についてもその議論の俎上に載せるべきだと思います。

特に大きな財産のあったり、遺産相続が絡む場合、家族間で不和のある場合にはのっぴきならない状況を避けるためにも、よくよく話し合っておいた方が良いかもしれません。

「プラセプラス」をきっかけに

プラセボ製薬の「プラセプラス」はホンモノの偽薬です。

薬を飲みすぎたり、何度も飲みたがったりする認知症の方が飲みたいだけ飲める「介護用偽薬」として用いられています。

避けたい話題を持ち出すきっかけ

夫婦や家族で認知症について話し合うのも簡単ではありません。近年とみに増えたTV番組の「認知症特集」を観たり、知人の家族に認知症の方がいたり、きっかけとしては何かしら見つかりそうなものですが、どちらかと言えば避けたい話題であるのもまた事実。

対岸の火事は眺めて過ごすだけになってしまいがちです。

そんな時に、話し合いをもつきっかけとして「プラセプラス」を導入してみるのはいかがでしょうか?

ねぇ、認知症になって薬飲んだことも忘れちゃうようになったらさぁ、ニセのおくすり飲ませてほしい?

なぁ、もし認知症になってさ、眠れないからってヤバいくらい何度も睡眠薬を飲みたがったら、ウソついてでも偽薬飲ませてくれよ

会話にはきっかけが必要です。

「プラセプラス」は、気軽なきっかけを提供します。

敢えて話し合いをせず大過なく人生を終えることを祈ることも可能でしょうが、一度も語り合ったことが無い場合と、一度だけでも話し合ったことがある場合では、時に大きな差となって現れることがあります。

「プラセプラス」を会話のきっかけに用いた認知症発症についての話し合いについて、是非一度検討してみてください。